山月御教話・続編(十九)

 

基督の心 第三一三集

山月御教話・続編(十九)                  石田秀夫先生筆録

日曜礼拝ご説教                      昭和五年一月十九日

聖書朗読 ルカ伝第二章二十五節から三十五節

 視(み)よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にしてイスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在(いま)す。また聖靈に主のキリストを見ぬうちは死をず見ずと示されたりしが、此(こ)のとき、御(み)靈(たま)に感じて宮に入る。兩(ふた)親(おや)その子イエスを携(たずさ)ヘ、この子のために律法(おきて)の慣例(ならはし)に遵(したが)ひて、行(おこな)はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を讃(ほ)めて言ふ、『主よ、今こそ御言(みことば)に循(したが)ひて僕(しもべ)を安らかに逝(ゆ)かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救(すくひ)を見たり。是(これ)もろもろの民の前に備(そな)へ給ひし者、異邦人を照らす光、御民(みたみ)イスラエルの榮光なり』。かく幼児に就(つ)きて語ることを、其(そ)の父母あやしみ居(い)たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ、『視よ、この幼児(おさなご)は、イスラエルの多くの人の或は倒れ、或は起(た)たん爲に、また言い逆(さから)ひを受くる徴(しるし)の爲に置かる―劍(つるぎ)なんぢの心をも刺し貫くべし―これは多くの人の心の念(おもひ)の顯(あら)はれん爲なり』

釈迦は生まれて一週間目に母親が死に、叔母の手で育てられることになった。日ならずして(=何日も経(た)たないうちに)、ヒマラヤの山中で修行を積んだ百二十歳の阿私陀(あしだ)仙人という老僧が、その甥に当る那(な)羅(ら)童子(どうじ)を連れて宮中に参内(さんだい)し、生まれたばかりの王子に恭(うやうや)しく拝礼した。

それから曰(いわ)く、「この御子(みこ)は実に八十もの好相(こうそう)を備えておられる。もし王位を継(つ)がれたならば、さぞ立派な王様となられましょう。またもし出家なされたならば、さぞ偉大な覚者(かくしゃ)となられましょう」と奏上(そうじょう)し、それから思わず感涙にむせんだ。「なぜ泣くのか」と問われ、「老いたるこの身は、御子の説かれる正法(しょうぼう)を聞くことなく、先に身罷(みまか)らねばならぬかと思うと、遺(い)憾(かん)の涙が止まりませぬ」と答えた。王はこれを聞いて一喜一憂の思いをした。

阿私陀仙人は、百二十歳にして斯(か)くの如き旺盛な向上心を持っていたのである。向上心に老いはない。肉体は歳(とし)と共に衰えるが、向上心はむしろ盛んになる。

仙人は那羅童子に向かって、「他日、この御子が正覚(しょうかく)なされた時は、必ず馳(は)せ参(さん)じてその門を叩くように」と命じた。童子はその言葉どおり釈迦の弟子となって、羅漢(らかん)(=修行の最高段階)の悟りを開いたとされる。

基督(キリスト)が生まれた時、エルサレムにはシメオンという老人がいた。「義かつ敬虔(けいけん)にして(・・・・)救世主を見ぬうちは死を見ず(=生前に必ず救世主に会える)」と聖霊から預言されていた。

「義」は《人》に対して正しい事、「敬」は《神》の前に正しい事である。

「君子は敬(を)以(もっ)て内(うち)を直(なお)く(=正しく)し、義(を)以て外(そと)を方(ほう)(=方正)にす」(易経)

「敬(けい)義(ぎ)(が)立ちて徳(は)弧(こ)ならず(=敬と義が行なわれれば、徳が孤立する事はない)」(同)

「敬義夾持(きょうじ)して直上せよ、天徳に達するは此(これ)よりす(=敬と義を兼備して真っ直ぐ進め、それが徳に達する出発点である)」(程子)

シメオンの記述は宗教的であり、儒教の言葉は修養的である。

ちなみに両者を対照してみるなら、

シメオンは「イスラエルの慰められん(=救われるであろう)ことを待ち望(のぞ)」んでいた。即(すなわ)ち己一個の信仰が深まり、人格が修まるのみならず、一国全体が善くなり、天国が実現されるようにと願い続けていた。神に対して《私》のない、生きた関係が付き、人に対して正しい道を行ない、自分の住む国全体の聖化を望む情熱を有する時、その人に聖霊が降(くだ)るのである。

彼の肉体は老いていたけれども、救世主を待望するその精神は若々しかった。その敬虔の心を神が嘉(よみ)(=褒める)して、「基督を見ぬうちは、汝は死を見ず」と約束してくださったのである。

そしてこの日、ついにその時が来たのである。神の霊に感じて神殿に入って行くと、そこに両親に抱(いだ)かれた幼子(おさなご)イエスが宮参りに来ていた。彼は神の御手(みて)に導かれるまま、待ちに待った救世主をその腕に抱(いだ)いた。

「主よ、今こそ御言(みことば)に循(したが)ひて僕(しもべ)(=私)を安らかに逝(ゆ)かしめ給ふなれ。我が目は、はや主の救いを見たり」。

「はや主の救い(=救世主の出現)を見たり」の一句は実に重要である。老シメオンは『旧約(=モ-セの戒律)』の全てを見(み)来(き)たった上、今ここに『新約(=キリストの救い)』の始まりに立ち会う事となった。

「是(これ)(は)もろもろの民の前に備(そな)へ給ひし者」

世間一般は、ただイスラエル一国を救う指導者を待望していたのであるが、シメオンはこの幼児の中に、「もろもろの民」、すなわち「全人類」を救う救済者を予見したのである。

「(これぞ)異邦人を照らす光、御(み)民(たみ)イスラエルの榮光なり」。

 光=智光(ちこう)―慈光(じこう)―生光(せいこう)

 智光は精神界の暗黒を照らす光、慈光は罪を洗い清める光、生光は滅びゆく霊を生き還(かえ)らせる光である。

「異邦人を照らす光」。イスラエル人は異邦人を蔑視していたが、新たなる主(しゅ)(=キリスト)は、異邦人をも平等に愛する救世主であると(シメオンは)見抜いた。それこそ人智を超えた創造的見解である。

また基督の如く、一国の枠組(わくぐ)みを超えて世界的に働く大人物を生んだ事は、取りも直(なお)さず(=即ち)「御民イスラエルの榮光」であると言っている点、昨今の頑冥(がんめい)・偏狭(へんきょう)な国家主義者たちのよく熟慮反省すべき所である。

小国イスラエルは間もなく滅んだ(=紀元70年)けれども、一人の救世主を世に送り出したという事実によって、今も世界的名誉を保っている。しかも(シメオンは)右も左もわからぬ幼児の中に、将来のその栄光を見抜いたのである。釈迦、孔子、ソクラテースも、それぞれ生国(しょうこく)を超越した世界的人物であり、しかもそれぞれ故国の栄光を担(にな)っている。

この二十九節から三十二節に掛けてのシメオンの独白は、全体が詩文で記されており、西欧のクリスチャンは、今も臨終に際して、これを口ずさんで死ぬと言われている(=讃(さん)詠(えい)560番)。

「かく幼児(おさなご)に就(つ)きて語ることを、其(そ)の父母(ちちはは)(は)あやしみ居(い)たれば、シメオン(は)彼らを祝して母マリヤに言ふ、『視(み)よ、この幼児は、イスラエルの多くの人の(=多くの人が)或は倒れ、或は起(た)たん爲(ため)に、また言ひ逆(さから)ひを受くる徴(しるし)のために置かる――劍(つるぎ)(が)なんぢの心をも刺し貫くべし――これは多くの人の心の念(おもひ)の顯(あら)はれん爲なり』」

 「父母あやしみ居たれば」、神の御意(みこころ)はわかり易(やす)く示される場合と、わかり難(にく)く示される場合とある。その時にはわからなくとも、後でわかる事があるから、全てよく心に留(とど)めておく事が大切である。

「多くの人の或は倒れ、或は起たん爲」、信ずる者は起ち、信ぜざる者は倒れ、受け入れる者は栄え、拒む者は衰える。信ずるか信ぜぬか、それが人間の運命の分かれ道になる。

「言ひ逆ひを受くる徴のために(=非難の的(まと)として)置かる」。世に基督論は何億あるか知らぬが、基督は「われは道なり、眞理(まこと)なり、生命(いのち)なり」(ヨハネ14-6)と仰せられたのであって、基督に逆らう者は道に反し、真理に反しているのである。肉体の生活のみを思い煩(わずら)う者は、基督に対して迷っているのである。その迷いの頂点が基督の十字架となった。

「劍なんぢの心をも刺し貫くべし」。十字架の下に立ったマリヤの心中は、まさにこれであった。血を分けた我が子が、最も残酷にして恥辱的な刑罰に遭(あ)っている。最も光栄あるべきマリヤは、同時に最も悲劇的な母親であった。この苦しみ在(あ)りてこそ、我々は罪の中から救われたのである。

「これは多くの人の心の念の顯はれん爲なり」。

学者・パリサイ人らが基督の前に出ると、その心持(こころもち)が露(あら)わになった。ヘロデの陰険、ピラトの虚勢、ペテロの軽卒も、全て基督の前に露見した。それは単に史上の逸話ではなく、今もってそうである。基督についていろいろ言う人は、それによって己の浅薄さが丸出(まるだし)しになる。無論、我々の心もそのまま顕れる。それを神・基督がご覧になって、お褒(ほ)めになるか、お叱(しか)りになるか、それは我々次第で決まるのである。

教訓集第三巻より

教婦養成科卒業式訓辞                    大正十五年九月一日

  • 信仰と修行

 社訓の初めに《信仰》を掲げ、完全なる天父を完全に信仰すべき事を謳(うた)ってあるが、まだ充分にわかっていないと思う。信仰というものは何を信じても、如何(いか)に信じても可(よ)いと思っている人もあるが、そうではない。今それを詳細に説く時間はないが、とにかく天地の根源は神・天父である。

では神とはいかなる存在であるか、

  

 という内実になっている。これを知らずして、あるいは認めずして、ただ「神は愛なり、救いなり」と一方的に頼るのは、賤(いや)しいご利(り)益(やく)信仰である。神は救済者であると同時に教育者であり、労働者である。救いは真剣な学修と純一の勤労の後に、初めて来るものである事を知っておかねばならぬ。

 「ここ(郡是(グンゼ))では基督(キリスト)教の教理や儀式を教えてくれないから、町の別の教会へ行く」と言うのも間違っている。世俗の所謂(いわゆる)信仰は、救いのみを説き、それを伝えて「布教は終り」としているのであって、それでは神の愛に相応(ふさわ)しい人間となるべき進歩がなく、人格・精神の向上もなく、祈祷も念仏のようなものになってしまって、やがて信仰は行き詰る。

 そもそも普通の学校でも、中級・上級過程に進めば、日々の予習が欠かせない。神の教育も同じで、まず学習意欲、即ち自(みずか)ら向上しようという意欲がなくてはならず、下調べ、即ち日々の修行を継続しなければならない。修行しない信仰は、下調べしない生徒と同じで、何年続けても成果は乏(とぼ)しい。まずは己の悪と欠点を知って改める事。それを続けて行けば、その誠心が他人を動かす。

 神はいずこにも在(いま)して、その教育は常に行なわれている。我々を行(ぎょう)住(じゅう)坐(ざ)臥(が)(=行く時・止まる時・坐る時・臥(ふ)す時、即(すなわ)ち日常の起居動作の全てを通じて)教育し、救済し給う。

 基督の時代のパレスチナはユダヤ、サマリヤ、ガリラヤに分かれ、ユダヤ人は神殿をエルサレムに建てていた。四十六年の歳月を費やしたその輪奐(りんかん)の美(=壮麗さ)は、荘厳にして言語に絶しており、ユダヤ人は必ずここに拠(よ)って神を拝した。ユダヤ三百万にとって、神の住まう所はここ以外になかった。 

 一方、サマリヤ人はゲリジムの山(海抜二千六百尺=800㍍)で神を拝して、エルサレムに行く事はなかった。基督はガリラヤへ向かわれる途中、サマリヤを通られた。飲み水を所望して村の井戸に立ち寄られた時、たまたま水を汲みに来たサマリヤの女が、「真の神が在(いま)すのは、エルサレムなのかゲリジムなのか」と問うた。

基督はそれに答えて、「婦(おんな)よ我を信ぜよ。唯(ただ)に此(この)山(やま)のみに非(あら)ず、亦(また)エルサレム而已(のみ)にも非ずして、爾曹(なんぢら)(が)父を拜(はい)すべき時きたらん。 爾曹の拜する者を爾曹は知らず、我儕(われら)の拜する者を我儕は知る。そは救(すくひ)はユダヤ人(びと)より出(いづ)るが故(ゆゑ)なり。 眞(まこと)の拜する者(=真に信仰する者が)、靈(れい)と眞(まこと)を以て父を拜する時きたらん。今その時になれり。夫(それ)父は是(かく)の如く拜(はい)する者(もの)を要(もと)め給(たま)ふ。神は靈なれば拜する者もまた靈と眞をもて之(これ)を拜すべき也(なり)」(ヨハネ4-21~24明治元訳)と言われた。

 これは神の遍在(=何時(いつ)でも何処(どこ)にでも存在する事)を信じ、常に戒慎(=神の前に畏(おそ)れ慎(つつし)む)すべき事を教えられたのである。このような信仰を持つ事は、《良師》を日常普段に傅(ふ)(=守役(もりやく))として持つのと同じで、常に自分を導いてくれる。
 世人は独(ひと)り居(い)る時は寂しいと言うが、私など独居の時が一番(心が)賑(にぎ)やかである。なぜなら専一に神と共に居(い)られるからである。そういう心を以(もっ)て人を扱えば、愛と誠を失わずして(=がむしゃらにならずに)、仕事の成績も立派になる。そういう良師を内に持てば、希望も喜楽も共に生まれるものである。

 神は労働者でもある。なぜなら、大は太陽・地球の運行から、小は人体細胞の電子の動きまで、細大(さいだい)漏(も)らさず神が司(つかさど)っておられるからである。

基督はこれを指(さ)して、「わが父は今にいたるまで働き給ふ、我もまた働くなり」(ヨハネ5-17)と言われた。この信仰が労働の本義である。カーライル(=19世紀英国の思想家)も「労働は(神に対する)礼拝なり」と言った。

労働が大切なのは、心を停滞させない事にある。溜まり水は腐るが、流水は腐らない。人が一心に労働している限り、精神は停滞しない。我々は信仰と修行と労働の三つを以て神と連なり、神はこれを通じて我々を教育・救済してくださるのである。これによって、当社の教育の立て方が世俗のそれと違って、完全なるものである事がわかる。

  • 純一の研究・勤労

 諸君はこの六ヵ月間の研修によって、必須(ひっすう)の事は一通り学ばれたであろう。けれども、真の仕事をなすには、勤労の本源たる精神を修めなければならない。この講習で成績の良かった人は、会社に帰っても進歩・向上するものである。ここで身に着けた精神を一層深く修め、一層細(こま)かく研究し、実地に当って一層勤労の本義を尽すからである。

特に教婦(=技術指導係)は、自分に修めた所を以(もっ)て実地に示すのであるから、決して研究・勤労を怠ってはならないのである。

  • 一体観と協力

 心が狭量であると孤立しやすい。人の上に立つ者は、心を大きく保ち、全員一体の観を持たねばならぬ。(この一体観を推し進めて行けば、社会・国家・世界を超えて、天地一体の大悟を得るのであるが、今日はそこまで説かぬ。)

今の人はとかく個人主義的になり易(やす)いが、ペテロは遠(とお)の昔に言っている、「何事を思ふにも黨(たう)を結び、或(あるい)は虚(むなしき)榮(ほまれ)を求(もとむ)る心を懷(いだく)べからず。各々(おのおの)謙(へりくだ)りたる心を以(も)て、互に人を己(おのれ)に愈(まされ)りと爲(せ)よ。又おのおの己(おの)が事のみを顧(かへり)みず、人の事をも顧みよ」(ピリピ2-3~4)と。   

また曰く、「我(は)受(うく)る所の(神の)恩(めぐみ)に藉(より)て爾曹(なんぢら)各人(おのおの)に告(つげ)ん、心高(たかぶ)りて思(おもひ)を過(すご)すこと勿(なか)れ、神の各人に賜(たまは)りたる信仰の量(はかり)に從(したが)ひて公平(たひらか)に思念(おもふ)べし。即ち我儕(われら)一體(ひとつからだ)に多(おほく)の肢(えだ)(=諸器官)あれども、皆その用(つとめ)を同(おなじ)うせざるが如く、各人キリストに於(おい)て一體たれば、亦(また)たがひに其(その)肢たる也(なり)。然(され)ば賜(たまは)る所の恩に藉(より)て各々賜(たまもの)を異(こと)にせり。或(あるい)は預言(よげん)あらば信仰の量(はかり)に循(したが)ひて預言をなし、或は役事(つとめ)(=奉仕)あらば其(その)役事(やくこと)をなし、或は教誨(をしへ)(=説教)をなす者は其(その)教誨をなし、勸慰(すすめ)(=教導)をなす者は其(その)勸慰をなし、賙濟(ほどこし)(=寄付)をなす者は吝(をしみ)なく施(ほど)こし、治理(をさめ)(=事務)をなす者は懈(おこた)らず治(をさ)め、矜恤(あはれみ)(=慈善)をなす者(もの)は歡(よろこ)びて憐むべし」(ロマ12-3~8)と。

 これは、各自で仕事を分担していても全員は一体である事を教えている。当社の仕事も組織上では分かれているが、郡(グン)是(ゼ)社員という点では一心同体である。各自の小我(しょうが)など棄てて、一致協力しなければならぬ。各科の連絡が充分でないとか、意志が疎通しないとか言う事であってはいけない。

殊(こと)に教育科や衛生科との連絡を疎(おろそ)かにしてはならない。仕事は決して機械がするのではなく、生きた人間がするのであるから、社員の心身の健康が第一である。工女の精神を善くするのは教育者であり、身体を善くするのは衛生係である。その他、各科にはそれぞれ責任者がいて、それぞれの業務を円滑に進めているのであるから、日ごろから協力一致するよう心掛けねばならぬ。然(しか)るに心得の悪い教婦は、己(おのれ)の勢力を振り回して威張る。そうして人望を失って窮地に陥(おちい)るのである。

  • 勤労と娯楽

 人の楽しみとする所によって、凡(およ)そその人がわかるものである。今から十八年前、私が初めてここに来た時、「皆(みんな)の楽しみは何か」と聞いたところ、「盆踊りが一番楽しい」との答えであった。猥雑な謠(うた)に合わせて、男女で夜通し踊る事が、人生一番の楽しみだとは、哀れにも悲しく思った。

 働く者の喜びは、何よりもまず勤労でなければならぬ。宇宙第一の労働者たる神は、愛を以て義(ただ)しく天地を経営なさっておられる。基督も神と共に喜んで働かれた。基督の弟子たちも基督と共に生涯、勤労に励んだ。

 今日の新聞によれば、竹久(たけひさ)夢二(ゆめじ)という画家(=「夢二式美人」によって一世を風靡(ふうび)した)は、「人生に疲れ果てた」との理由で、日本を棄てて仏蘭西(フランス)へ移住すると言っているそうである。自分の働きが苦になるような人は、仏蘭西へ行こうがどこへ行こうが、安住できないと思う。

西洋の学者は、「労働争議は労働苦から起こる」と言っている。労働を苦役と考えるから辛(つら)くなる。私の郷里を流れる桂川(かつらがわ)は、清澄なる山中湖から流れ出ているので、水は清らかである。正しい心から迸(ほとばし)り出る労働は、美しく楽しいものである。凡(およ)そ聖人の勤労は喜びに満ちている。基督は生涯労働なさって、晩年には宿る家もなく、「狐は穴あり、天空(そら)の鳥は巣あり。然(され)ど人の子(=イエス)は枕する所なし」(マタイ8-20)と言われ、事実、橄欖山(かんらんざん)(=オリブ山)に露宿(ろしゅく)された事もある。それでも労働を辛(つら)いとはおっしゃらず、休みたいなどとは一度も仰(おおせ)らなかった。

諸君もこの心を以て勤労すれば、春の雨が万物を育てるように、昨日より今日、今日より明日へと、工場内の人を立派に育てる事ができ、それに伴って仕事の成績も上がって、どこまでも楽しく進んで行けるようになる。人として生まれて、自分の本業に喜びを覚えること、それに勝(まさ)る喜びはないのである。

  • 奉仕と大徳

 《奉仕》なる語の出どころは基督のお言葉にある。基督の弟子たちも初めは世間並みの名誉心・虚栄心が強く、ヤコブとペテロは来たるべき王国の右大臣・左大臣になりたいと願い、イスカリオテのユダは大蔵大臣の座を狙っていた。これに対して基督は、「異邦の領主(りやうしゆ)はその民を主(つかさ)どり、大人(おほいなるもの)(=権力者)どもは彼等の上に權(けん)を操(と)る。これ(は)爾曹(なんぢら)が知るところ也(なり)。然(され)ど爾曹(なんぢら)の中(うち)にては然(しか)すべからず(=そうであってはならぬ)。爾曹のうち大(おほい)ならんと欲(おも)ふ者は、爾曹に役(つかは)るる者となるべし。また爾曹のうち首(かしら)たらんと欲ふ者は、爾曹の僕(しもべ)となるべし。 此(かく)の如く人の子(=イエス)の來(きた)るも人を役(つか)ふ爲(ため)には非(あら)ず、反(かへつ)て人に役はれ、又おほくの人に代(かはり)て生命(いのち)を予(あた)へ、その贖(あがなひ)とならん爲なり」(マタイ20-25~28)と戒(いまし)められた。「自ら僕(しもべ)となって人に役(つかは)れ、人の贖(あがなひ)となる事」、これが奉仕の精神である。

こういう心はどこから来るのか、愛からである。英国のグラッドストーン(=19世紀英国の政治家)は、当時ビスマルク(=同じくドイツの名宰相)と並ぶ二大政治家であった。ある日、某氏がその私邸を訪ねると、室内が非常に騒がしい。そっと覗(のぞ)いてみると、何と天下に名だたるグラッドストーン氏が、子供を背中に乗せて四つん這(ば)いになって、馬の代わりをしていたと言う。真に力の有る人はそういうものである。人前で威張って見せるのは不徳者(もの)の証拠で、そんな者の権威は長続きしない。

基督は人類への奉仕の究極として、その生命までも棄てられた。その結果、今日に及んでますます栄光を受けておられる。諸君は教師に学んだ所を、この奉仕の心を以て実行して、会社の期待以上の働きをなされたい。

第一教育例会質問会における訓話             大正十五年九月三日

信仰

お話しすべき事はいろいろあるけれど、殊(こと)に大切なものは信仰である。信仰は我々の現世のみならず、来世にも及ぶ問題である。然(しか)るにその信仰が旧態(きゅうたい)依(い)然(ぜん)として中途で止まっているようでは、人格が進歩しない。己の人格が進まなければ、他人を進ませる事はできない。

昨日も話したとおり、神の一部分のみを見てわかったとせず、完全なる信仰を持って、完全の神を見る事が大切である。「神は愛なり」などと狭く考えていては、せっかくの社訓を実地に応用する事ができない。社訓の実践には智・能・善・美、その他あらゆる要素を要するのである。

ゆえに古聖人の信じたように、神を主宰者・労働者・救済者・教育者として信ずる事を要する。而(しか)してこの信仰を一貫するには、神の遍在(へんざい)、即ち神はいつでもどこにでも在(いま)す事を信ずる信仰が必要である。しかし現今、大宗教家と言われているような人でも、この大事な事を忘れている。諸君はよく注意して、事務を執(と)る間も休憩の間も、神のお働きを忘れてはならない。

日常不断にこの信仰を持するならば、日曜毎(ごと)に教会へ通うよりずっと大きな感化を受ける事ができる。私が最近、養生院(ようじょういん)(=郡是付属の療養施設)で療養中の人に贈った書に、「病室は神の家、病床は神の座たる事を信じるならば、儀式的信仰の空(むな)しい事がわかるであろう、云々(うんぬん)」と記したのも、同じ趣(しゅ)旨(し)である。パウロが「祈(いのり)を恒(つね)にし」(ロマ12-12)と言った祈りは、常に神と交通する事、即ち絶えざる礼拝を言っている。

信仰とは、自分と神との間に生きた関係を結ぶ事を言う。それは他人を恃(たの)む(=頼る)事ではない。人を恃んで信仰に入ろうとする者を、古聖人(=臨済か?)は乞食に擬(なぞら)えた。本来、自分で行なうべき事を、人に縋(すが)ろうとするからである。

神は我々を教え(=「教育」し)、導き(=「主宰」し)、救う(=「救済」する)べく、日々働いて(=「勤労」して)おられる。その確信を得た時は、その喜びたるや、家なき者が家を見付けて、親にも再会したようなものである。その心で以(もっ)て人を愛せば、愛の労苦もまた喜びとなる。なぜなら基督(キリスト)も我々と同じように労されたからである。

諸君は職場に帰って、よくこの筆記録を読み返し、単に知識に留(とど)めずして、各自、応分に(=精一杯、己の能力に応じて)神の経営に参画するよう努められたい。そうすれば、世界に傑出した働きをなす事もできる。それでこそ完全なる信仰となるのである。

神を父とする

今朝(こんちょう)の朝礼で読んだルカ伝の第十章で、「父(=天父・神)の外(ほか)に子(=イエス)は誰なると(=何者であるかを)識(し)る者なく、亦(また)子、および子の顯(あらは)す所の者(=弟子たち)の外(ほか)に、父は誰なると識る者なし」(10-22)と基督は仰(おっしゃ)っているのであるが、基督が「誰なると識」られた所の父、即ち神は、釈迦にも孔子にも、またモーセにもエリヤにも(=両者ともに古代ユダヤの大預言者)、未(いま)だ見る事のできなかった《完全》なる神である。

即ち基督は、《救い主》としては十字架上の死によって、人を愛する事の極みを示された。これは他の三聖人の及ばぬ所である。

(神を)《主宰者》と見るのは、我が明治天皇(=「天(あま)つ神」の信仰を持された)や殷(いん)の湯(とう)王(おう)と同じであり、孔子も、「天命を畏(おそ)れ、云々(うんぬん)」(論語・季氏)と畏(い)敬(けい)している。

《労働者》として信ずる事に関しては、カーライルが「労働は信仰なり、労働は礼拝なり」と言っている。

神を《教育者》として信じた孟子は、「天の将(まさ)に大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ず先(ま)ずその心(しん)志(し)(=心身)を苦しめ、云々(うんぬん)」(孟子・告子下)と言った。

これら全てを兼ね備えた《完全なる神》を我々は示されているのである。これは非常に大切な所であるが、それだけに誤解すると非常に害がある。即ち、「自分は、釈迦も孔子もモーセもエリヤも知らなかった神を知っている」などと思い上がると、とんでもない事になる。

それら諸聖人・預言者の大徳を我々が持っているかと言えば、到底その足元にも及ばない。そんな分際(ぶんざい)で聖人を批評したり、軽視したりするのは身(み)の程(ほど)知らずと言うものである。たとえ世間のクリスチャンは誤っても、我々はあくまで神の恩寵を信じて、感謝する心を失ってはならない。人間の幸福は、神を父として愛慕し、神に教えられ、救われる事であり、これより大いなるものはない。

ちょっと名の知れたような人が、軽薄な考えを臆面(おくめん)もなく書物に載せる。世人はその名声に幻惑されて無批判にそれを信じ込む。かつて二(ふた)木(き)謙(けん)三(ぞう)博士(=日本疫病学の重鎮。郡是(グンゼ)衛生顧問)は、「ドイツの栄養学を直輸入して、日本人に適用するのは害がある」と言われた。宗教に於(お)いてもこれに類する事が多々ある。例えば、「基督教は万人共通の宗教であり、誰でも入れる平易なものである。修業だの学習だの語るのは邪道である」などと言う人がいる。米国辺(あた)りの基督教をそのまま日本に持ち込むとそうなる。

古(いにしえ)の学者・パリサイ人は、聖書(=旧約聖書)の中に、救世主の現れる事が預言されているのを熟知しながら、現実に出現された基督には敵対した。[続く]

山月先生文集(150)

山月子『女学雑誌』記事(二十四)

故山(こざん)の日(=故郷に於ける日々)

(一)愁苦

一人の病者に侍(じ)す(=看護する)、而(しか)して家人(は)悉(ことごと)く半病。余(よ)(=私)もまた病後(につき)、破れたる衣(ころも)を縫うべき人もなく、布団(ふとん)の綿出(いづ)るもこれを繕(つくろ)う人もなし。家内整頓せず、食事の時間一定せず、愁(しゅう)雲(うん)漠々(ばくばく)(=憂いの雲はむらむらと湧き)、惨霧(さんむ)濛々(もうもう)たり(=憂いの霧はもくもくと漂(ただよ)う)。灯火の功(=効果)を知らんには、これを滅(めっ)して暗黒とせよ。家庭(ホーム)の徳(=和楽団欒の家庭の情愛)を知らんには、女性を去り(=去らせ)て乾燥寂寞(せきばく)たらしめよ。ああ余は豈(あに)(=どうして)永久(とこしなえ)に母の徳を忘れんや。無声の歎(たん)・無涙(むるい)の悲(ひ)、何ぞ我を慰むる人なくして、我を憂えしむる人のみ多きか。

人生、字を知るは憂いの初めか(=人間は文字や言葉を知る事によって、物思いが始まるのではないか)。余は敢(あ)えて言う、「人間(が)、基督(キリスト)を知るは一種未知の憂いを知るの初めなり」と。然(しか)り、憂いを知ればこそ、真の喜悦を得(う)るなれ。

(二)亡(な)き人を夢(ゆめ)む

母と兄と弟妹と、相次(あいつ)ぐ五人の死去によりて、余は無常を観じ、而(しか)して有常(=無常の逆を示す造語。ここは後述の真神の常在)を見出しぬ。浮世の定まりなきを知り、而(しか)して真神の常に在(いま)すを識(し)りぬ。短き人世(じんせい)を観じ、而して愛の無窮(むきゅう)(=窮(きわま)り無い事)を悟りぬ。故(ゆえ)に初めは甚(はなは)だしく哀苦(あいく)に沈み、今は頗(すこぶ)る感謝に堪えざるなり。而も人情の喜楽ある毎(ごと)に、また愁苦ある毎に、亡き人を想い出さざるはなし。

一日(いちじつ)(=ある日)、裏の川に魚を獲(と)る。母(が)在(いま)せり。余は母に請(こ)うて盥(たらい)を取り、魚をこれに放つ。瞬間、「俚諺(りげん)(=地元の諺)に曰く、魚の夢を見るは凶事の兆(しるし)なり」と気づく。そこで余は母に問う、「これ夢に非(あら)ずや」、母は微笑して答え給わず。そこで余は思う、「夢には非ず」と。暫(しばら)くして覚(さ)む(=眼覚めた)。

後(のち)の日、一室に坐す。母(が)来(きた)り給えり。仕立て上げたる羽織(はおり)を携(たずさ)え、手ずから(=自分の手で)余に着せしむ。羽織の丈(たけ)長し。母は離れてよく見給えり。余は思う、「余が年(とし)長(た)けて、さぞ身長も伸びたらんと思われ、長めに仕立て給いしならん」と。さらに熟々(つくづく)見れば、袖の所は古き別模様(もよう)の布を継(つ)ぎ給えるなり。ああ経済に巧(たく)みなる母、裁縫に妙(みょう)なる(=非常に優れた)母、よくも別(べつ)布(ぬの)を、かくも知れ難きよう継ぎ給いしものかなと、心に感嘆して、先に脱ぎたる羽織を取り、「この袖口は切れ掛かりたり。今のうちに縫(ぬ)うて戴きたし。これは絹なれば仕舞(しま)い置きて、この新しき羽織を日常に着(ちゃく)すべし」と。この楽しき夢は忽(たちま)ちにして覚めぬ。

(三)朋友を想う

余は深情多感、時としては一死惜しまざるの盲目的猪勇(ちょゆう)(=猪突(ちょとつ)猛進の気概)ありと雖(いえど)も、時としては「何(なに)故(ゆえ)にかくまで弱きか」と思うほど、涙もろく、処女の如くなることあり。今や諸友を離れて、独(ひと)り茅屋(ぼうおく)の裏(=みすぼらしい住居の中)に在(あ)り、霖雨(りんう)蕭々(しょうしょう)として(=長雨が物寂しく降り)、転(うた)た(=いよいよ)想慕(そうぼ)の念を増す。

一夜(=ある晩)、仙台の東北学院に在(あ)り。押川先生の演説了(おわ)わる。眼鏡を掛けたる人、室の一隅にあり。忽(たちま)ち思う、「彼(か)は〇〇君に非ずや」と。相会(あいかい)して歓(かん)然(ぜん)(=喜ぶさま)、倐(しゅっ)忽(こつ)にして(=忽(たちま)ち)夢(は)覚む。

その翌々日、東京より雑誌着(ちゃく)しぬ。中に親友の作れる文あり、『粘土流の愛』、『嘔吐すべき青年』の二篇、痛罵(つうば)叱咤(しった)(=厳しい非難と叱り付ける言葉は)、紙上に声あるが如(ごと)し。余は見て快(かい)然(ぜん)(=愉快を感じて)、微笑せり。その夜の夢、再び親友に会す。余は自らの哀(あい)苦(く)を語るよりも、まず彼の文の事を語りぬ。「今日の青年に最も嘔吐すべき種類二つあり、傲慢(ごうまん)なる粗暴擬強者(ぎきょうしゃ)(=粗暴で剛毅(ごうき)を気取る者)と、柔軟義骨(ぎこつ)なき粘土流の唱愛(しょうあい)空(くう)笑者(しょうしゃ)(=口に愛を唱えて作り笑いをする軟弱者(なんじゃくもの))なり」の句を挙げて、相(あい)共(とも)に一笑せり。而(しか)して遂(つい)に覚む。

夢に入る者(は)二人、夢に見ずとも深く思う人また多し。東京を発(た)つ前、病より起きたる友の状(じょう)(は)、今や如何(いか)に。余自ら顧(かえり)みて、余の思いの清潔善美なるを信ず。この思いは余の胸間に幾多の愛友の幻影を写し、余をして覚えず賑(しん)然(ぜん)(=楽しく)一笑せしむることあり。余はこの情を与え給いし基督(キリスト)に感謝せざるを得ず。

(四)茅屋の生活

苦痛の最も甚(はなは)だしきは、言い難(がた)き苦痛なり。悲愁(ひしゅう)の最も大なるは、述べ難き悲愁なり。六月九日、東京を発せんと決せし夜より、余(よ)は実にこの境(きょう)(=心境)に沈めり。而(しか)も次第に深きに沈む。これ母兄弟と死別以来の大苦痛。茫然として頭重く、歯痛み、ただ祈祷によりて生く。

二十日、忽焉(こつえん)として(=たちまち)悟る、「何を考うるにつけ、何をなすにつけ、決して我が身を弱めるべからず、我が信仰を高めざるべからず」と。すなわち祈る、「信仰と望みと愛とを持ちて苦惨(くさん)憂愁(ゆうしゅう)(=苦しく惨めで憂いに閉ざされる)の境に、悠然(ゆうぜん)として(=ゆったり落ち着いて)立つことを得せしめよ」と。また祈る、「まず我自(みずか)らを進ましむるより他なし。如何(いか)に思い煩(わずら)うも詮方(せんかた)なし(=仕方がない)。希(ねがわ)くは我を進歩せしめよ。我が思い・我が言行(が)、無意(=無意識)に人を導くことを得るに至らしめよ」と。

聖書、その他の書籍を読む時間を多くし、狭き裏庭に武術の独稽古(ひとりげいこ)をなし、或(あるい)は桂川激流中の巌上(がんじょう)に端坐(たんざ)瞑想し、或は父の肩を揉(も)みつつ、その経験を謹聴(きんちょう)す。要(よう)はただ己(おの)が智・徳・体の三育を図(はか)るにあり。

(五)感謝

二十二日夕(ゆう)、人なき郊外を独(ひと)り散歩す。忽然(こつぜん)として(=急に)自己の精神上の経歴を思う。ああ我(は)、伝記・小説に顕(あらわ)るるが如(ごと)き(波瀾激動の)経歴を有す。固(もと)より立派ならざること多し。されど自(みずか)ら顧(かえり)みて、立派なりと思うこと無きにしも非(あら)ず。この伝記・この小説を、一日また一日、次第に神の前に厳(おごそ)かに、思いを以(もっ)て、言を以て、行(こう)(=行ない)を以て書く事の楽しさよ。

我は人を尊敬するの念(が)、最も深し。而(しか)して自己の心の幾何(いくばく)(=どれほど)進みしやを知らざること多し。一たん事ある時、自他の真の位置を知り、自ら案外に高められたるを思い、感謝し祈願すること多し。ああ我が今日の愁苦は、一層我を進ましめんとする神の摂理(せつり)(=神慮(しんりょ))に非(あら)ずや。喜び湧(ゆう)然(ぜん)として(=嬉しさにわくわくしつつ)前面を仰げば、半(なか)ば雲に覆われたる三(み)ッ(つ)峠(とうげ)の山頂(が)、神の在(いま)すが如く覚ゆ。ああ神は直(す)ぐ近く、我が上に在すなり。神よ、希(ねがわ)くは我に一層の艱苦(かんく)を与えよ。我は汝の愛を深く感謝す。

二十三日、『創世記』、『出(しゅつ)埃及(エジプト)記(き)』を読む。エホバ(=旧約の神)が艱難の中にヨセフ(=ユダヤ人の祖・ヤコブの子。イスラエル人を大飢饉から救った)を守り給いし事、モーセが神より選ばれし事、パロ(=ファラオに同じ。古代エジプト王の総称)の心の剛腹(ごうふく)(=強情(ごうじょう))なる事、読み来(きた)りて深く感ず。而(しか)して我が導かんと思う人々の剛腹にして、我が心を痛むること、豈(あに)(=どうして)我を艱難の中に守り給う神の、測(はか)るべからざる愛の摂理なるなからんや(=神慮でないことがあろうか)。ああ我が身(を)、重んじざる(=自重せざる)べからず。霊に肉に、深く自愛の念を増す。感謝して思うに、この一日、心の進歩に於(お)いて、実に不信者たりし時の一年(分)に相当すと。

(六)富士山

二十三日夕、霖雨(りんう)(=長雨は)全く晴れ、雲霧(うんむ)(は)漸(ようや)く散じて、初めて富士を見る。覚えず手を拍(う)ちて莞爾(かんじ)たり(=にっこり微笑(ほほえ)む)。ああ富士よ、汝は真(まこと)に我が愛友なるかな。梅雨(ばいう)濛々(もうもう)、孤情(こじょう)寂々(じゃくじゃく)の時は、自ら思う、西郷南州(なんしゅう)(隆盛)が(奄美(あまみ))大島に謫(たく)(=島流し)せられし時の如(ごと)きかと。而(しか)して今や青天下に富士を見る。我が寂(じゃく)情(じょう)の半分は汝によりて去れり。ああ我(は)この地に立つ、豈(あに)(=どうして)、汝の独(ひと)り立つが如くならざらんや。汝と我と真(まこと)によく似たり。以(もっ)て互いに無言の同情を寄すべし。

〇〇先生(は)嘗(かつ)て戯(たわむ)れに余(よ)(=私)に曰く、「富士は君の理想の佳人(かじん)(=美女)なり」と。ああ理想の佳人、汝と我との間に於(お)ける神の媒酌(ばいしゃく)(=仲介を)、余は喜んでこれを謝す。(明治25年6月24日誌(しるす))   明治二十五年八月二十七日 女学雑誌三二六号甲

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