基督の心 第三一三集
山月御教話・続編(十九) 石田秀夫先生筆録
日曜礼拝ご説教 昭和五年一月十九日
聖書朗読 ルカ伝第二章二十五節から三十五節
視よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にしてイスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在す。また聖靈に主のキリストを見ぬうちは死をず見ずと示されたりしが、此のとき、御靈に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携ヘ、この子のために律法の慣例に遵ひて、行はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を讃めて言ふ、『主よ、今こそ御言に循ひて僕を安らかに逝かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救を見たり。是もろもろの民の前に備へ給ひし者、異邦人を照らす光、御民イスラエルの榮光なり』。かく幼児に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ、『視よ、この幼児は、イスラエルの多くの人の或は倒れ、或は起たん爲に、また言い逆ひを受くる徴の爲に置かる―劍なんぢの心をも刺し貫くべし―これは多くの人の心の念の顯はれん爲なり』
釈迦は生まれて一週間目に母親が死に、叔母の手で育てられることになった。日ならずして(=何日も経たないうちに)、ヒマラヤの山中で修行を積んだ百二十歳の阿私陀仙人という老僧が、その甥に当る那羅童子を連れて宮中に参内し、生まれたばかりの王子に恭しく拝礼した。
それから曰く、「この御子は実に八十もの好相を備えておられる。もし王位を継がれたならば、さぞ立派な王様となられましょう。またもし出家なされたならば、さぞ偉大な覚者となられましょう」と奏上し、それから思わず感涙にむせんだ。「なぜ泣くのか」と問われ、「老いたるこの身は、御子の説かれる正法を聞くことなく、先に身罷らねばならぬかと思うと、遺憾の涙が止まりませぬ」と答えた。王はこれを聞いて一喜一憂の思いをした。
阿私陀仙人は、百二十歳にして斯くの如き旺盛な向上心を持っていたのである。向上心に老いはない。肉体は歳と共に衰えるが、向上心はむしろ盛んになる。
仙人は那羅童子に向かって、「他日、この御子が正覚なされた時は、必ず馳せ参じてその門を叩くように」と命じた。童子はその言葉どおり釈迦の弟子となって、羅漢(=修行の最高段階)の悟りを開いたとされる。
基督が生まれた時、エルサレムにはシメオンという老人がいた。「義かつ敬虔にして(・・・・)救世主を見ぬうちは死を見ず(=生前に必ず救世主に会える)」と聖霊から預言されていた。
「義」は《人》に対して正しい事、「敬」は《神》の前に正しい事である。
「君子は敬(を)以て内を直く(=正しく)し、義(を)以て外を方(=方正)にす」(易経)
「敬義(が)立ちて徳(は)弧ならず(=敬と義が行なわれれば、徳が孤立する事はない)」(同)
「敬義夾持して直上せよ、天徳に達するは此よりす(=敬と義を兼備して真っ直ぐ進め、それが徳に達する出発点である)」(程子)
シメオンの記述は宗教的であり、儒教の言葉は修養的である。
ちなみに両者を対照してみるなら、

シメオンは「イスラエルの慰められん(=救われるであろう)ことを待ち望」んでいた。即ち己一個の信仰が深まり、人格が修まるのみならず、一国全体が善くなり、天国が実現されるようにと願い続けていた。神に対して《私》のない、生きた関係が付き、人に対して正しい道を行ない、自分の住む国全体の聖化を望む情熱を有する時、その人に聖霊が降るのである。
彼の肉体は老いていたけれども、救世主を待望するその精神は若々しかった。その敬虔の心を神が嘉(=褒める)して、「基督を見ぬうちは、汝は死を見ず」と約束してくださったのである。
そしてこの日、ついにその時が来たのである。神の霊に感じて神殿に入って行くと、そこに両親に抱かれた幼子イエスが宮参りに来ていた。彼は神の御手に導かれるまま、待ちに待った救世主をその腕に抱いた。
「主よ、今こそ御言に循ひて僕(=私)を安らかに逝かしめ給ふなれ。我が目は、はや主の救いを見たり」。
「はや主の救い(=救世主の出現)を見たり」の一句は実に重要である。老シメオンは『旧約(=モ-セの戒律)』の全てを見来たった上、今ここに『新約(=キリストの救い)』の始まりに立ち会う事となった。
「是(は)もろもろの民の前に備へ給ひし者」
世間一般は、ただイスラエル一国を救う指導者を待望していたのであるが、シメオンはこの幼児の中に、「もろもろの民」、すなわち「全人類」を救う救済者を予見したのである。
「(これぞ)異邦人を照らす光、御民イスラエルの榮光なり」。
光=智光―慈光―生光
智光は精神界の暗黒を照らす光、慈光は罪を洗い清める光、生光は滅びゆく霊を生き還らせる光である。
「異邦人を照らす光」。イスラエル人は異邦人を蔑視していたが、新たなる主(=キリスト)は、異邦人をも平等に愛する救世主であると(シメオンは)見抜いた。それこそ人智を超えた創造的見解である。
また基督の如く、一国の枠組みを超えて世界的に働く大人物を生んだ事は、取りも直さず(=即ち)「御民イスラエルの榮光」であると言っている点、昨今の頑冥・偏狭な国家主義者たちのよく熟慮反省すべき所である。
小国イスラエルは間もなく滅んだ(=紀元70年)けれども、一人の救世主を世に送り出したという事実によって、今も世界的名誉を保っている。しかも(シメオンは)右も左もわからぬ幼児の中に、将来のその栄光を見抜いたのである。釈迦、孔子、ソクラテースも、それぞれ生国を超越した世界的人物であり、しかもそれぞれ故国の栄光を担っている。
この二十九節から三十二節に掛けてのシメオンの独白は、全体が詩文で記されており、西欧のクリスチャンは、今も臨終に際して、これを口ずさんで死ぬと言われている(=讃詠560番)。
「かく幼児に就きて語ることを、其の父母(は)あやしみ居たれば、シメオン(は)彼らを祝して母マリヤに言ふ、『視よ、この幼児は、イスラエルの多くの人の(=多くの人が)或は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ逆ひを受くる徴のために置かる――劍(が)なんぢの心をも刺し貫くべし――これは多くの人の心の念の顯はれん爲なり』」
「父母あやしみ居たれば」、神の御意はわかり易く示される場合と、わかり難く示される場合とある。その時にはわからなくとも、後でわかる事があるから、全てよく心に留めておく事が大切である。
「多くの人の或は倒れ、或は起たん爲」、信ずる者は起ち、信ぜざる者は倒れ、受け入れる者は栄え、拒む者は衰える。信ずるか信ぜぬか、それが人間の運命の分かれ道になる。
「言ひ逆ひを受くる徴のために(=非難の的として)置かる」。世に基督論は何億あるか知らぬが、基督は「われは道なり、眞理なり、生命なり」(ヨハネ14-6)と仰せられたのであって、基督に逆らう者は道に反し、真理に反しているのである。肉体の生活のみを思い煩う者は、基督に対して迷っているのである。その迷いの頂点が基督の十字架となった。
「劍なんぢの心をも刺し貫くべし」。十字架の下に立ったマリヤの心中は、まさにこれであった。血を分けた我が子が、最も残酷にして恥辱的な刑罰に遭っている。最も光栄あるべきマリヤは、同時に最も悲劇的な母親であった。この苦しみ在りてこそ、我々は罪の中から救われたのである。
「これは多くの人の心の念の顯はれん爲なり」。
学者・パリサイ人らが基督の前に出ると、その心持が露わになった。ヘロデの陰険、ピラトの虚勢、ペテロの軽卒も、全て基督の前に露見した。それは単に史上の逸話ではなく、今もってそうである。基督についていろいろ言う人は、それによって己の浅薄さが丸出しになる。無論、我々の心もそのまま顕れる。それを神・基督がご覧になって、お褒めになるか、お叱りになるか、それは我々次第で決まるのである。
教訓集第三巻より
教婦養成科卒業式訓辞 大正十五年九月一日
- 信仰と修行
社訓の初めに《信仰》を掲げ、完全なる天父を完全に信仰すべき事を謳ってあるが、まだ充分にわかっていないと思う。信仰というものは何を信じても、如何に信じても可いと思っている人もあるが、そうではない。今それを詳細に説く時間はないが、とにかく天地の根源は神・天父である。
では神とはいかなる存在であるか、

という内実になっている。これを知らずして、あるいは認めずして、ただ「神は愛なり、救いなり」と一方的に頼るのは、賤しいご利益信仰である。神は救済者であると同時に教育者であり、労働者である。救いは真剣な学修と純一の勤労の後に、初めて来るものである事を知っておかねばならぬ。
「ここ(郡是)では基督教の教理や儀式を教えてくれないから、町の別の教会へ行く」と言うのも間違っている。世俗の所謂信仰は、救いのみを説き、それを伝えて「布教は終り」としているのであって、それでは神の愛に相応しい人間となるべき進歩がなく、人格・精神の向上もなく、祈祷も念仏のようなものになってしまって、やがて信仰は行き詰る。
そもそも普通の学校でも、中級・上級過程に進めば、日々の予習が欠かせない。神の教育も同じで、まず学習意欲、即ち自ら向上しようという意欲がなくてはならず、下調べ、即ち日々の修行を継続しなければならない。修行しない信仰は、下調べしない生徒と同じで、何年続けても成果は乏しい。まずは己の悪と欠点を知って改める事。それを続けて行けば、その誠心が他人を動かす。
神はいずこにも在して、その教育は常に行なわれている。我々を行住坐臥(=行く時・止まる時・坐る時・臥す時、即ち日常の起居動作の全てを通じて)教育し、救済し給う。
基督の時代のパレスチナはユダヤ、サマリヤ、ガリラヤに分かれ、ユダヤ人は神殿をエルサレムに建てていた。四十六年の歳月を費やしたその輪奐の美(=壮麗さ)は、荘厳にして言語に絶しており、ユダヤ人は必ずここに拠って神を拝した。ユダヤ三百万にとって、神の住まう所はここ以外になかった。
一方、サマリヤ人はゲリジムの山(海抜二千六百尺=800㍍)で神を拝して、エルサレムに行く事はなかった。基督はガリラヤへ向かわれる途中、サマリヤを通られた。飲み水を所望して村の井戸に立ち寄られた時、たまたま水を汲みに来たサマリヤの女が、「真の神が在すのは、エルサレムなのかゲリジムなのか」と問うた。
基督はそれに答えて、「婦よ我を信ぜよ。唯に此山のみに非ず、亦エルサレム而已にも非ずして、爾曹(が)父を拜すべき時きたらん。 爾曹の拜する者を爾曹は知らず、我儕の拜する者を我儕は知る。そは救はユダヤ人より出るが故なり。 眞の拜する者(=真に信仰する者が)、靈と眞を以て父を拜する時きたらん。今その時になれり。夫父は是の如く拜する者を要め給ふ。神は靈なれば拜する者もまた靈と眞をもて之を拜すべき也」(ヨハネ4-21~24明治元訳)と言われた。
これは神の遍在(=何時でも何処にでも存在する事)を信じ、常に戒慎(=神の前に畏れ慎む)すべき事を教えられたのである。このような信仰を持つ事は、《良師》を日常普段に傅(=守役)として持つのと同じで、常に自分を導いてくれる。
世人は独り居る時は寂しいと言うが、私など独居の時が一番(心が)賑やかである。なぜなら専一に神と共に居られるからである。そういう心を以て人を扱えば、愛と誠を失わずして(=がむしゃらにならずに)、仕事の成績も立派になる。そういう良師を内に持てば、希望も喜楽も共に生まれるものである。
神は労働者でもある。なぜなら、大は太陽・地球の運行から、小は人体細胞の電子の動きまで、細大漏らさず神が司っておられるからである。
基督はこれを指して、「わが父は今にいたるまで働き給ふ、我もまた働くなり」(ヨハネ5-17)と言われた。この信仰が労働の本義である。カーライル(=19世紀英国の思想家)も「労働は(神に対する)礼拝なり」と言った。
労働が大切なのは、心を停滞させない事にある。溜まり水は腐るが、流水は腐らない。人が一心に労働している限り、精神は停滞しない。我々は信仰と修行と労働の三つを以て神と連なり、神はこれを通じて我々を教育・救済してくださるのである。これによって、当社の教育の立て方が世俗のそれと違って、完全なるものである事がわかる。
- 純一の研究・勤労
諸君はこの六ヵ月間の研修によって、必須の事は一通り学ばれたであろう。けれども、真の仕事をなすには、勤労の本源たる精神を修めなければならない。この講習で成績の良かった人は、会社に帰っても進歩・向上するものである。ここで身に着けた精神を一層深く修め、一層細かく研究し、実地に当って一層勤労の本義を尽すからである。
特に教婦(=技術指導係)は、自分に修めた所を以て実地に示すのであるから、決して研究・勤労を怠ってはならないのである。
- 一体観と協力
心が狭量であると孤立しやすい。人の上に立つ者は、心を大きく保ち、全員一体の観を持たねばならぬ。(この一体観を推し進めて行けば、社会・国家・世界を超えて、天地一体の大悟を得るのであるが、今日はそこまで説かぬ。)
今の人はとかく個人主義的になり易いが、ペテロは遠の昔に言っている、「何事を思ふにも黨を結び、或は虚榮を求る心を懷べからず。各々謙りたる心を以て、互に人を己に愈りと爲よ。又おのおの己が事のみを顧みず、人の事をも顧みよ」(ピリピ2-3~4)と。
また曰く、「我(は)受る所の(神の)恩に藉て爾曹各人に告ん、心高りて思を過すこと勿れ、神の各人に賜りたる信仰の量に從ひて公平に思念べし。即ち我儕一體に多の肢(=諸器官)あれども、皆その用を同うせざるが如く、各人キリストに於て一體たれば、亦たがひに其肢たる也。然ば賜る所の恩に藉て各々賜を異にせり。或は預言あらば信仰の量に循ひて預言をなし、或は役事(=奉仕)あらば其役事をなし、或は教誨(=説教)をなす者は其教誨をなし、勸慰(=教導)をなす者は其勸慰をなし、賙濟(=寄付)をなす者は吝なく施こし、治理(=事務)をなす者は懈らず治め、矜恤(=慈善)をなす者は歡びて憐むべし」(ロマ12-3~8)と。
これは、各自で仕事を分担していても全員は一体である事を教えている。当社の仕事も組織上では分かれているが、郡是社員という点では一心同体である。各自の小我など棄てて、一致協力しなければならぬ。各科の連絡が充分でないとか、意志が疎通しないとか言う事であってはいけない。
殊に教育科や衛生科との連絡を疎かにしてはならない。仕事は決して機械がするのではなく、生きた人間がするのであるから、社員の心身の健康が第一である。工女の精神を善くするのは教育者であり、身体を善くするのは衛生係である。その他、各科にはそれぞれ責任者がいて、それぞれの業務を円滑に進めているのであるから、日ごろから協力一致するよう心掛けねばならぬ。然るに心得の悪い教婦は、己の勢力を振り回して威張る。そうして人望を失って窮地に陥るのである。
- 勤労と娯楽
人の楽しみとする所によって、凡そその人がわかるものである。今から十八年前、私が初めてここに来た時、「皆の楽しみは何か」と聞いたところ、「盆踊りが一番楽しい」との答えであった。猥雑な謠に合わせて、男女で夜通し踊る事が、人生一番の楽しみだとは、哀れにも悲しく思った。
働く者の喜びは、何よりもまず勤労でなければならぬ。宇宙第一の労働者たる神は、愛を以て義しく天地を経営なさっておられる。基督も神と共に喜んで働かれた。基督の弟子たちも基督と共に生涯、勤労に励んだ。
今日の新聞によれば、竹久夢二という画家(=「夢二式美人」によって一世を風靡した)は、「人生に疲れ果てた」との理由で、日本を棄てて仏蘭西へ移住すると言っているそうである。自分の働きが苦になるような人は、仏蘭西へ行こうがどこへ行こうが、安住できないと思う。
西洋の学者は、「労働争議は労働苦から起こる」と言っている。労働を苦役と考えるから辛くなる。私の郷里を流れる桂川は、清澄なる山中湖から流れ出ているので、水は清らかである。正しい心から迸り出る労働は、美しく楽しいものである。凡そ聖人の勤労は喜びに満ちている。基督は生涯労働なさって、晩年には宿る家もなく、「狐は穴あり、天空の鳥は巣あり。然ど人の子(=イエス)は枕する所なし」(マタイ8-20)と言われ、事実、橄欖山(=オリブ山)に露宿された事もある。それでも労働を辛いとはおっしゃらず、休みたいなどとは一度も仰らなかった。
諸君もこの心を以て勤労すれば、春の雨が万物を育てるように、昨日より今日、今日より明日へと、工場内の人を立派に育てる事ができ、それに伴って仕事の成績も上がって、どこまでも楽しく進んで行けるようになる。人として生まれて、自分の本業に喜びを覚えること、それに勝る喜びはないのである。
- 奉仕と大徳
《奉仕》なる語の出どころは基督のお言葉にある。基督の弟子たちも初めは世間並みの名誉心・虚栄心が強く、ヤコブとペテロは来たるべき王国の右大臣・左大臣になりたいと願い、イスカリオテのユダは大蔵大臣の座を狙っていた。これに対して基督は、「異邦の領主はその民を主どり、大人(=権力者)どもは彼等の上に權を操る。これ(は)爾曹が知るところ也。然ど爾曹の中にては然すべからず(=そうであってはならぬ)。爾曹のうち大ならんと欲ふ者は、爾曹に役るる者となるべし。また爾曹のうち首たらんと欲ふ者は、爾曹の僕となるべし。 此の如く人の子(=イエス)の來るも人を役ふ爲には非ず、反て人に役はれ、又おほくの人に代て生命を予へ、その贖とならん爲なり」(マタイ20-25~28)と戒められた。「自ら僕となって人に役れ、人の贖となる事」、これが奉仕の精神である。
こういう心はどこから来るのか、愛からである。英国のグラッドストーン(=19世紀英国の政治家)は、当時ビスマルク(=同じくドイツの名宰相)と並ぶ二大政治家であった。ある日、某氏がその私邸を訪ねると、室内が非常に騒がしい。そっと覗いてみると、何と天下に名だたるグラッドストーン氏が、子供を背中に乗せて四つん這いになって、馬の代わりをしていたと言う。真に力の有る人はそういうものである。人前で威張って見せるのは不徳者の証拠で、そんな者の権威は長続きしない。
基督は人類への奉仕の究極として、その生命までも棄てられた。その結果、今日に及んでますます栄光を受けておられる。諸君は教師に学んだ所を、この奉仕の心を以て実行して、会社の期待以上の働きをなされたい。
第一教育例会質問会における訓話 大正十五年九月三日
信仰
お話しすべき事はいろいろあるけれど、殊に大切なものは信仰である。信仰は我々の現世のみならず、来世にも及ぶ問題である。然るにその信仰が旧態依然として中途で止まっているようでは、人格が進歩しない。己の人格が進まなければ、他人を進ませる事はできない。
昨日も話したとおり、神の一部分のみを見てわかったとせず、完全なる信仰を持って、完全の神を見る事が大切である。「神は愛なり」などと狭く考えていては、せっかくの社訓を実地に応用する事ができない。社訓の実践には智・能・善・美、その他あらゆる要素を要するのである。
ゆえに古聖人の信じたように、神を主宰者・労働者・救済者・教育者として信ずる事を要する。而してこの信仰を一貫するには、神の遍在、即ち神はいつでもどこにでも在す事を信ずる信仰が必要である。しかし現今、大宗教家と言われているような人でも、この大事な事を忘れている。諸君はよく注意して、事務を執る間も休憩の間も、神のお働きを忘れてはならない。
日常不断にこの信仰を持するならば、日曜毎に教会へ通うよりずっと大きな感化を受ける事ができる。私が最近、養生院(=郡是付属の療養施設)で療養中の人に贈った書に、「病室は神の家、病床は神の座たる事を信じるならば、儀式的信仰の空しい事がわかるであろう、云々」と記したのも、同じ趣旨である。パウロが「祈を恒にし」(ロマ12-12)と言った祈りは、常に神と交通する事、即ち絶えざる礼拝を言っている。
信仰とは、自分と神との間に生きた関係を結ぶ事を言う。それは他人を恃む(=頼る)事ではない。人を恃んで信仰に入ろうとする者を、古聖人(=臨済か?)は乞食に擬えた。本来、自分で行なうべき事を、人に縋ろうとするからである。
神は我々を教え(=「教育」し)、導き(=「主宰」し)、救う(=「救済」する)べく、日々働いて(=「勤労」して)おられる。その確信を得た時は、その喜びたるや、家なき者が家を見付けて、親にも再会したようなものである。その心で以て人を愛せば、愛の労苦もまた喜びとなる。なぜなら基督も我々と同じように労されたからである。
諸君は職場に帰って、よくこの筆記録を読み返し、単に知識に留めずして、各自、応分に(=精一杯、己の能力に応じて)神の経営に参画するよう努められたい。そうすれば、世界に傑出した働きをなす事もできる。それでこそ完全なる信仰となるのである。
神を父とする
今朝の朝礼で読んだルカ伝の第十章で、「父(=天父・神)の外に子(=イエス)は誰なると(=何者であるかを)識る者なく、亦子、および子の顯す所の者(=弟子たち)の外に、父は誰なると識る者なし」(10-22)と基督は仰っているのであるが、基督が「誰なると識」られた所の父、即ち神は、釈迦にも孔子にも、またモーセにもエリヤにも(=両者ともに古代ユダヤの大預言者)、未だ見る事のできなかった《完全》なる神である。
即ち基督は、《救い主》としては十字架上の死によって、人を愛する事の極みを示された。これは他の三聖人の及ばぬ所である。
(神を)《主宰者》と見るのは、我が明治天皇(=「天つ神」の信仰を持された)や殷の湯王と同じであり、孔子も、「天命を畏れ、云々」(論語・季氏)と畏敬している。
《労働者》として信ずる事に関しては、カーライルが「労働は信仰なり、労働は礼拝なり」と言っている。
神を《教育者》として信じた孟子は、「天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその心志(=心身)を苦しめ、云々」(孟子・告子下)と言った。
これら全てを兼ね備えた《完全なる神》を我々は示されているのである。これは非常に大切な所であるが、それだけに誤解すると非常に害がある。即ち、「自分は、釈迦も孔子もモーセもエリヤも知らなかった神を知っている」などと思い上がると、とんでもない事になる。
それら諸聖人・預言者の大徳を我々が持っているかと言えば、到底その足元にも及ばない。そんな分際で聖人を批評したり、軽視したりするのは身の程知らずと言うものである。たとえ世間のクリスチャンは誤っても、我々はあくまで神の恩寵を信じて、感謝する心を失ってはならない。人間の幸福は、神を父として愛慕し、神に教えられ、救われる事であり、これより大いなるものはない。
ちょっと名の知れたような人が、軽薄な考えを臆面もなく書物に載せる。世人はその名声に幻惑されて無批判にそれを信じ込む。かつて二木謙三博士(=日本疫病学の重鎮。郡是衛生顧問)は、「ドイツの栄養学を直輸入して、日本人に適用するのは害がある」と言われた。宗教に於いてもこれに類する事が多々ある。例えば、「基督教は万人共通の宗教であり、誰でも入れる平易なものである。修業だの学習だの語るのは邪道である」などと言う人がいる。米国辺りの基督教をそのまま日本に持ち込むとそうなる。
古の学者・パリサイ人は、聖書(=旧約聖書)の中に、救世主の現れる事が預言されているのを熟知しながら、現実に出現された基督には敵対した。[続く]
山月先生文集(150)
山月子『女学雑誌』記事(二十四)
故山の日(=故郷に於ける日々)
(一)愁苦
一人の病者に侍す(=看護する)、而して家人(は)悉く半病。余(=私)もまた病後(につき)、破れたる衣を縫うべき人もなく、布団の綿出るもこれを繕う人もなし。家内整頓せず、食事の時間一定せず、愁雲漠々(=憂いの雲はむらむらと湧き)、惨霧濛々たり(=憂いの霧はもくもくと漂う)。灯火の功(=効果)を知らんには、これを滅して暗黒とせよ。家庭の徳(=和楽団欒の家庭の情愛)を知らんには、女性を去り(=去らせ)て乾燥寂寞たらしめよ。ああ余は豈(=どうして)永久に母の徳を忘れんや。無声の歎・無涙の悲、何ぞ我を慰むる人なくして、我を憂えしむる人のみ多きか。
人生、字を知るは憂いの初めか(=人間は文字や言葉を知る事によって、物思いが始まるのではないか)。余は敢えて言う、「人間(が)、基督を知るは一種未知の憂いを知るの初めなり」と。然り、憂いを知ればこそ、真の喜悦を得るなれ。
(二)亡き人を夢む
母と兄と弟妹と、相次ぐ五人の死去によりて、余は無常を観じ、而して有常(=無常の逆を示す造語。ここは後述の真神の常在)を見出しぬ。浮世の定まりなきを知り、而して真神の常に在すを識りぬ。短き人世を観じ、而して愛の無窮(=窮り無い事)を悟りぬ。故に初めは甚だしく哀苦に沈み、今は頗る感謝に堪えざるなり。而も人情の喜楽ある毎に、また愁苦ある毎に、亡き人を想い出さざるはなし。
一日(=ある日)、裏の川に魚を獲る。母(が)在せり。余は母に請うて盥を取り、魚をこれに放つ。瞬間、「俚諺(=地元の諺)に曰く、魚の夢を見るは凶事の兆なり」と気づく。そこで余は母に問う、「これ夢に非ずや」、母は微笑して答え給わず。そこで余は思う、「夢には非ず」と。暫くして覚む(=眼覚めた)。
後の日、一室に坐す。母(が)来り給えり。仕立て上げたる羽織を携え、手ずから(=自分の手で)余に着せしむ。羽織の丈長し。母は離れてよく見給えり。余は思う、「余が年長けて、さぞ身長も伸びたらんと思われ、長めに仕立て給いしならん」と。さらに熟々見れば、袖の所は古き別模様の布を継ぎ給えるなり。ああ経済に巧みなる母、裁縫に妙なる(=非常に優れた)母、よくも別布を、かくも知れ難きよう継ぎ給いしものかなと、心に感嘆して、先に脱ぎたる羽織を取り、「この袖口は切れ掛かりたり。今のうちに縫うて戴きたし。これは絹なれば仕舞い置きて、この新しき羽織を日常に着すべし」と。この楽しき夢は忽ちにして覚めぬ。
(三)朋友を想う
余は深情多感、時としては一死惜しまざるの盲目的猪勇(=猪突猛進の気概)ありと雖も、時としては「何故にかくまで弱きか」と思うほど、涙もろく、処女の如くなることあり。今や諸友を離れて、独り茅屋の裏(=みすぼらしい住居の中)に在り、霖雨蕭々として(=長雨が物寂しく降り)、転た(=いよいよ)想慕の念を増す。
一夜(=ある晩)、仙台の東北学院に在り。押川先生の演説了わる。眼鏡を掛けたる人、室の一隅にあり。忽ち思う、「彼は〇〇君に非ずや」と。相会して歓然(=喜ぶさま)、倐忽にして(=忽ち)夢(は)覚む。
その翌々日、東京より雑誌着しぬ。中に親友の作れる文あり、『粘土流の愛』、『嘔吐すべき青年』の二篇、痛罵叱咤(=厳しい非難と叱り付ける言葉は)、紙上に声あるが如し。余は見て快然(=愉快を感じて)、微笑せり。その夜の夢、再び親友に会す。余は自らの哀苦を語るよりも、まず彼の文の事を語りぬ。「今日の青年に最も嘔吐すべき種類二つあり、傲慢なる粗暴擬強者(=粗暴で剛毅を気取る者)と、柔軟義骨なき粘土流の唱愛空笑者(=口に愛を唱えて作り笑いをする軟弱者)なり」の句を挙げて、相共に一笑せり。而して遂に覚む。
夢に入る者(は)二人、夢に見ずとも深く思う人また多し。東京を発つ前、病より起きたる友の状(は)、今や如何に。余自ら顧みて、余の思いの清潔善美なるを信ず。この思いは余の胸間に幾多の愛友の幻影を写し、余をして覚えず賑然(=楽しく)一笑せしむることあり。余はこの情を与え給いし基督に感謝せざるを得ず。
(四)茅屋の生活
苦痛の最も甚だしきは、言い難き苦痛なり。悲愁の最も大なるは、述べ難き悲愁なり。六月九日、東京を発せんと決せし夜より、余は実にこの境(=心境)に沈めり。而も次第に深きに沈む。これ母兄弟と死別以来の大苦痛。茫然として頭重く、歯痛み、ただ祈祷によりて生く。
二十日、忽焉として(=たちまち)悟る、「何を考うるにつけ、何をなすにつけ、決して我が身を弱めるべからず、我が信仰を高めざるべからず」と。すなわち祈る、「信仰と望みと愛とを持ちて苦惨憂愁(=苦しく惨めで憂いに閉ざされる)の境に、悠然として(=ゆったり落ち着いて)立つことを得せしめよ」と。また祈る、「まず我自らを進ましむるより他なし。如何に思い煩うも詮方なし(=仕方がない)。希くは我を進歩せしめよ。我が思い・我が言行(が)、無意(=無意識)に人を導くことを得るに至らしめよ」と。
聖書、その他の書籍を読む時間を多くし、狭き裏庭に武術の独稽古をなし、或は桂川激流中の巌上に端坐瞑想し、或は父の肩を揉みつつ、その経験を謹聴す。要はただ己が智・徳・体の三育を図るにあり。
(五)感謝
二十二日夕、人なき郊外を独り散歩す。忽然として(=急に)自己の精神上の経歴を思う。ああ我(は)、伝記・小説に顕るるが如き(波瀾激動の)経歴を有す。固より立派ならざること多し。されど自ら顧みて、立派なりと思うこと無きにしも非ず。この伝記・この小説を、一日また一日、次第に神の前に厳かに、思いを以て、言を以て、行(=行ない)を以て書く事の楽しさよ。
我は人を尊敬するの念(が)、最も深し。而して自己の心の幾何(=どれほど)進みしやを知らざること多し。一たん事ある時、自他の真の位置を知り、自ら案外に高められたるを思い、感謝し祈願すること多し。ああ我が今日の愁苦は、一層我を進ましめんとする神の摂理(=神慮)に非ずや。喜び湧然として(=嬉しさにわくわくしつつ)前面を仰げば、半ば雲に覆われたる三ッ峠の山頂(が)、神の在すが如く覚ゆ。ああ神は直ぐ近く、我が上に在すなり。神よ、希くは我に一層の艱苦を与えよ。我は汝の愛を深く感謝す。
二十三日、『創世記』、『出埃及記』を読む。エホバ(=旧約の神)が艱難の中にヨセフ(=ユダヤ人の祖・ヤコブの子。イスラエル人を大飢饉から救った)を守り給いし事、モーセが神より選ばれし事、パロ(=ファラオに同じ。古代エジプト王の総称)の心の剛腹(=強情)なる事、読み来りて深く感ず。而して我が導かんと思う人々の剛腹にして、我が心を痛むること、豈(=どうして)我を艱難の中に守り給う神の、測るべからざる愛の摂理なるなからんや(=神慮でないことがあろうか)。ああ我が身(を)、重んじざる(=自重せざる)べからず。霊に肉に、深く自愛の念を増す。感謝して思うに、この一日、心の進歩に於いて、実に不信者たりし時の一年(分)に相当すと。
(六)富士山
二十三日夕、霖雨(=長雨は)全く晴れ、雲霧(は)漸く散じて、初めて富士を見る。覚えず手を拍ちて莞爾たり(=にっこり微笑む)。ああ富士よ、汝は真に我が愛友なるかな。梅雨濛々、孤情寂々の時は、自ら思う、西郷南州(隆盛)が(奄美)大島に謫(=島流し)せられし時の如きかと。而して今や青天下に富士を見る。我が寂情の半分は汝によりて去れり。ああ我(は)この地に立つ、豈(=どうして)、汝の独り立つが如くならざらんや。汝と我と真によく似たり。以て互いに無言の同情を寄すべし。
〇〇先生(は)嘗て戯れに余(=私)に曰く、「富士は君の理想の佳人(=美女)なり」と。ああ理想の佳人、汝と我との間に於ける神の媒酌(=仲介を)、余は喜んでこれを謝す。(明治25年6月24日誌) 明治二十五年八月二十七日 女学雑誌三二六号甲

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