完全の信仰

夫れ信仰は、人の全精神を支配し、全活動を支配し、全生涯を支配し、未来永遠を支配する者なり。故に人生に於て、信仰ほど大切なる者はあらず。迷信、邪信が、人を誤り、家を破り、甚しきに至りては、国家の禍乱、衰亡を招くことあるは、歴史の証明する所なり。真信、正信と雖へども、其の信仰の不完全なる者は、種々の流幣を来たし、害毒を生ずることあるは、是れ亦事実の明示する所なり。故に信仰は、必ず完全ならざるべからず。然らば則ち完全の信仰とは、如何なる者ぞ。

(第一) 最も大切なるは、其の神観の完全なることなり。即ち其の信ずる所の本尊が、完全なる神にして、其の神を完全に観ること是れなり。我が観る所、信ずる所、体験する所、随喜する所の神は、絶大、真誠、至健、至善、全知、全能、至美、聖愛、宇宙を創造し、人類を生出し、一切を主宰し、教育し、救済し、審判して、真、善、美を保護し、偽、醜、悪を破壊し、遂に宇宙一切を完成する皇天上帝にして、且在天の父なる神なり。

(第二) は其の基督観の完全なることなり。即ち完全なる神が大慈大悲の故に、人となりて此の世に降り来れる者は、耶蘇・基督なることを信じ、之を完全に観ること是れなり。我が観る所、信ずる所、霊覚する所、渇仰する所の基督は、真正の救世主なると共に、人類の完全師なり、神聖の労働者、天授の大詩人なり。真理の光明王なり。

(第三) は其の信仰の仕方の完全なること是れなり。乃ち深く反省して自己の罪悪、迷執を知り、後悔して基督の救いを蒙り、篤く之に信頼し、如何なる時に於ても希望を失はず。仰いで神・基督を愛慕すると共に、万人を敬愛し職分に精励し、さらに望を高くして、自他の心意、言行、生活、凡て聖旨に合せんことを求め、先づ自ら神・基督、先聖、古得、天地、万物、人間、実務を学習し至上の恩寵によりて、神と合一し、合一して其の所得を忘れ、更に神の完全を渇望し、楽んで向上し、喜んで神と人とに奉仕するなり。

吾が完全の信仰とは、即ち之を謂ふなり。

昭和十四年八月十一日