基督の心第三一二集
山月御教話・続編(十八) 石田秀夫先生筆録
海辺の巌(2) 昭和五年一月十七日 於 第一教育会
(第四)風景の調和
動―水―洋々
静―巌―巍々
高―天―無辺
動・静、高・低、寛・厳・・・景色は種々対照的な部分部分が集合して、一幅の絵画を成している。海浜なら、水あり島あり、舟が浮かび、鳥が飛び、魚が泳ぐ、それら全てが調和して天地の美を形づくっている。
人間も同様である。大人物には往々にして、内に対立・矛盾した所があるものであるが、小さくこせこせして矛盾しているよりは、遥かに益しである。人世を解脱した部分と、職務に暁通した部分が調和していれば、まさに鬼に金棒(=強い上にも強い)である。東も知れば西も知り、古きも知れば今をも知る。考える時には水の如く冷静、行なう時には火の如く熱烈、それが大人の器量(=力量)と言うものである。
それには、基督の教えられた所を絶対謙遜して、従順・素直に学び、個人として心技を高め、団体として協力一致して行く。殊にこれからは一人一人が真剣に取り組まねばならぬ時である。
(第五)有限と無限
海の果ては天に続いている。「天は水に連なり、水は天に接す」(出典不詳)の語の如く、有限と無限は繋がっている。人間は有限、神は無限である。宗教の《義(=正しくある事)》は有限と無限の一致したものである。基督はそれをわかりやすく、主従・親子・兄弟・朋友の関係に譬えて、最後に 《一》たるべき事を教えられた。
「これ皆一つとならん爲なり」(ヨハネ17-21)
これに関連して、エックハルト(=中世ドイツの神学者)は、「神と吾人(=我々)との間に疎隔ある所以のものは(=隔たりが生じる理由は)、吾人がその箇身(=自己)に執着するが故なり。箇身を忘了(=忘れ去る)すれば神と合体す」と言っている。
自分を残したまま自分を忘れようとしても、忘れようとする自分が残存してしまう。《忘れる》のではなく、逆に純一に神を《思う》事によって、自分を忘れ去る事ができる。純一の時には、文字通り心には一つの事しか存在しないからである。
それには基督心宗の信仰を養い、社訓の精神を実行し、完全の神を純一に思い続ける事である。そうすれば万一悟らなくても、進んで行く事はできる。思いを一つにする事によって、思う者(=我)と思われる者(=神・キリスト)とが一つになるのである。
何と言っても、罪の根源・心の病根は己の中にある。
「己をすて、己が十字架を負ひて、我に從へ」(マタイ16-24)
世俗を忘れ、没入して心に見入る者は、凡夫(=平凡人)の上に超越して、唯一の神に合一するを得る。その時、もはや時間は消えて、ただ妙楽(=言いようのない喜び)あるのみ。
我々の目的とするところは、自らに死ぬる(=己を捨て去る)事である。換言すれば、凡ての智(=人智)を失くして、無識・無思の寂寞(=俗念を離れた静寂の境地)に入る事である。そこに神の智がある。そこに入れば、自分で考えずに神の考えが自分の考えとなり、一歩一歩進む足取りも、神と偕に歩むのであるから、過つ事がなくなる。
とにかく己を捨てなければならぬ。孔子も釈迦もそれを教えている。殊に基督は強くそれを教えられた。(了)
教育講習会発会式ご講話 昭和五年一月十八日
道を学び修めるのに、如何なる心を以て学ぶかが根本問題である。これを誤ると、何十年経っても目的を達する事はできない。
「発心(=初心が)正しからざれば、万行(=あらゆる修業は)空しく施す」(道元)
- 大志を懐く
宗教の入り方に二種ある。一つは、「自分など全く無価値な者である」とし、そこから一番大きな神に帰依服属して行くもの。今一つは、「人間の心は神に似せて造られたものであり、本心が覚醒すれば神の如くなれる」とし、修業に邁進するもの。前者は、《信頼の信仰》に行き着き、後者は《修業の信仰》に行き着く。
「須らく(=当然の事ながら)是その心を大にし、開闊(=広々と)ならしむべし。譬えば九層の台を為るが如し。須らく大いに脚を做して(=土台を堅固にして)方に(=当然の結果として)得べし」(程明道)
信仰に入るには、心を大きく、広くして行く事が大切である。大建築にはしっかりした基礎工事が不可欠である。富士山は非常に広い裾野を持っているがゆえに、あれほど高く、美しいのである。およそ神々しいほどの山は、必ず大きな地盤を擁している。
「寧ろ聖人を学んで至らざるも、一善を以て名を為すこと勿れ(=たとえ聖人を学んでその境地に至れなくても、小さな善をもって安易に名を揚げるような事をしてはならぬ)」(同)
人間の寿命には限りがある(時間そのものは無限であるが、人と生まれたからには有限なのである)。ゆえに二義的・副次的なものに時間を割いている余裕はない。一番大事な事に一意(=一点集中して)専心すべきである。読書するなら第一級の書を読む。徳を磨くなら、真っ直ぐ聖人を目指して進む。「悪い事はせぬ」と心掛けているくらいでは、《平凡な善人》になるのが関の山(=限度)である。
精神が高尚で、人が仰ぎ見るような人格を養うには、必ず大志を立てなければならない。大志を懐いて、小事に動かされない。そして自らを高めて、人をも高めて行く。
人間には横(=隣人)に尽すばかりでなく、自身が上に伸びたい(=向上したい)という欲求がある。そこでまず自分が立派になり、その感化によって人を立派にするのである。
向上―自愛 (本我は向上の性質を帯びている。その本我を愛するのが自愛である。
×
信仰―他愛 (自分が信仰を積んで、人を向上させて行く事が真の他愛になる。)
罪はどこから来るか。罪に苦しむ時は必ず心が横向き(=相対的)か下向き(=退歩的)になっている。誘惑も横向き・下向きの時に来る。ゆえに真の愛は横向き(=隣人への働きかけ)だけではない。どこまでも基督の教えを守って進んで行く(=進歩・向上する)事が自愛であり、他愛であり、真の信仰である。宗教は平面的(=相対的)・立体的(=絶対的)・向上的なものである。
「我もし地より舉げられなば(=天上界に召された時には)、凡ての人を我が許に引きよせん」(ヨハネ12-32)
- 謙遜を旨(=中心)とする
謙遜とは、ただ頭を低くする(=低姿勢になる)事ではなく、心の《我》を無くす事であり、謙遜の極致は《無我》である。基督はそれを「心の貧しき者」(マタイ5-3)と言われた。幼児は本来無心であるから、そのまま「心の貧しき者」であり、「天國にて大なる者」(同18-4)である。
心が無一物な人間は絶対的に無心である。而して、比較を絶したものほど大いなるものはないので、真の謙遜と真の偉大とは究極的に一致する。しかしそこに僅かでも小我が残っていると、決して偉大にはなれない。少しでも自己中心の心があると、傲慢と知らずに傲慢になる。ゆえに過去の知識・修養・経験など全て振り捨てねばならぬ。孔子はその精神で以て一生涯学んで行った。
信仰に入った者は、信仰の光によって神・基督の栄光を顕さねばならない。それにはまず、己の人格を修めなければならない。しかし今日の教会に、果たしてどれだけ人格者が育っているであろうか。
また一方においては、あくまで信頼して修養して行かねばならない。かつて押川先生は、「基督の中に基督はない」と言われた。私は久しくその真意をわかり兼ねたが、「わからないのは自分が低いからだ」と謙遜して学んで行った。
先生はまた、「道は大人の為にある」と言われた。これについてもいろいろ考えさせられた。つまり《教え》と《道》とは違うのである。教えの本源が道であり、道は基督ご自身であるから、基督の心を己の心とせぬ限り、道は得られない。ゆえに「道は大人の為にある」のである。「自分にわからないのは、自分が低いからだ」と思うのが無我である。
- 心に修め、身に行なう
教育の極致は、自ら修め、自ら行なう事に尽きる。それを、「いかにして生徒を善くするか」など、小手先の事のみ考えているから善くならない。教師が相手ばかりを見ていると、相手も教師を見ているから、一向に教育の実は挙がらない。
程明道(=宋の名儒)の弟子に謝顕道という人がいた。万巻の書を読み、広く学んで、人に伝える事が道であると考えていた。ある時、程明道に会って、自分の作った文書を暗誦して聞かせたところ、
「賢(=秀才は)却って許多(=多くの事柄)を記得(=覚え込む)し、物を玩び、志を喪う(=玩物喪志[つまらぬ物に愛着し、本来の志を忘れている])](近思録)
と嗜められた。
自分が何事か学んだなら、それを己の中に養わねばならない(=真に身に着けねばならぬ)。それには謙遜して神の無限の声を聞くようにしなければならぬ。人に与えるには、まず自分が修めるのである。
(第四)隠徳を積む
「右の手のなすことを左の手に知らすな」(マタイ6-3)
(人に見せるためでなく)隠れた所で修めて行く。心の使い方が、隠れた所で緩まない事。寝む時も、神の懐に憩うという気持であれば、休眠さえ修養になる。
隠れた所で自らを修め、隠れた所で人のために尽し、行ないを慎み、一言でも人のためになるよう努める。それには、人に話す前にまず神に話し、必ず愛を以て人に語るようにする。
悟った人と悟らぬ人とでは、話し方も違い、徳を積んだ人と積まぬ人では、言葉が違う。真似して善い事と悪い事があるので、よく気を付けねばならぬ。
これら全ては、まさに十字架を負ってなさねばならぬ(困難な)仕事と言っても過言ではない。
教訓集第三巻より
院長室職員への訓話 大正十五年八月二日
教育と救済
世人は教育者としての基督を見落としている。今朝(場長会で)お話したように、神のお働きにおいては、《救済》よりも《教育》の方が先行している(=人類の祖・アダムとイヴに対する教育)。まず最初に神の教育があって、それに背反した者を、なおも基督が救済なさるという順序である。
従来の宗教家は下から(=人間の側から)のみ説くから間違う。上から見ればよくわかる。神は全人類を完全たらしめんと思召され、仮令そこから落ちこぼれた者が出ても、それをお見捨てにはならずに救済なさる。それは人間の親子関係と同じである。親は最初から子の救済に頭を悩ますわけではない。立派に育って欲しいから、まず教育に心を用い、救済はもっと後である。
即ち宗教は、ただ信頼して救われるためのものではなく、神を学んで上を望み、勇んで進み行くべきものである。パウロはこの両方面を弁えていた。西欧人の言うような、単なる「信頼の使徒」(=信ずれば救われるとのみ説く弟子)などではない。
自分で経験して見ればよくわかる。もし人間が本来、善をなすこと能わざる者であるならば、何ゆえ我々の心に、「善をなせ、悪をなすな」という声が聞こえるのか。
パウロは、「我が願ふ所の善は之を行はずして、反つて願はざる所の惡は之を行へり」(ロマ7-19明治元訳)と嘆いたが、実際、我々の心には善もあれば悪もある。もし善のみならば、この世に戦争など起ころう筈もなく、またもし悪のみならば、良心の囁きなど聞こえない筈である。
「絶対信頼」とは「絶対他力(=ただ神の救いを希求する信仰)」であり、そこには純粋なものもあるが、一つ間違えると、その身は罪にまみれたまま、ちょっと麻酔薬を服用して良心を麻痺させながら、その日暮らししているような事になる。そんな信仰では、到底真の救済など得られない。
神と人は、親であり子であるという事実を実感すれば、心の変化は大きいものがある。
聖人の教育
某学校の教員から、「郡是では如何なる教育をしているか」と問われ、私は「聖人の教育法を実践している」と答えた。
然らば「聖人の教育」とは何か。孔子の言葉がそれを代表している。
「子曰く、黙してこれを識り、学んで厭かず、人を誨えて倦まず(=黙って天道を悟り、学んで嫌にならず、教えて飽きない)」(論語・述而)と。
即ち、
- 深い信仰
- 自ら進む
- 人を善くする
この三項であり、社訓とも一致している。
「黙してこれを識る」とは、深い認識である。せっかく聖賢の言葉を読んでも、その精神と直接交渉しなければ、何にもならない。しかも普通の人なら、「識って」満足して止まってしまうものであるが、孔子はなおも「学んで厭かず」と言い、「識った」上でさらに学んだのである。それで天地の真理がますます明らかになり、ますます内に蓄えられるから、自然にそれが「教え」となって溢れ出て、《厭く》事がないのである。
然るに今の教育は、この根本を蔑ろにして、ただ方法論ばかりを議論している。曰く「何々式」、曰く「何々法」と、枝葉末端に拘泥して迷っている。東西(=東洋と西洋)ともにそうである。
謙遜
謙遜と言っても、わざと自分を卑下し、包み隠すというような事ではない。すなわち「燈火をともして升の下に置く」(マタイ5-15)事ではない。
ペテロは、「爾曹の装飾は髪を編み、金を掛け、また衣を著るが如き外面の装飾にあらず、ただ心の内の隠れたる人、すなはち壊れることなき柔和恬静なる靈を以て装飾とすべし」(ペテロ前3-3~4)と言っている。
孔子は非常に深く悟って、それでも非常に謙遜であった。「君子の道は三つ、仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。我これを能くするなし(=自分はまだ実行できていない)」(論語・憲問)。徹底した謙遜には《我》がない。謙遜を教理のように考えて、それを以て他人を律する(=束縛する)など大いなる誤りである。似て非なるものは誤まり易い。基督が偽善者を悪まれたのも、そのためである。
郡是の教育
郡是の教育も、最初から今の如く組織立っていた訳ではない。私が長年養って来た信仰・識見を、東西古今に照らして検証した上で、天の事・地の事・人の事に応用して(教育組織を)定めたのである。
従来の教育者は、道徳指導のみで社員教育は事足りると思って来た。しかし工場などでは、智慧と応用力と決断力がなくてはならない。経済において、経済学の書物に書いてないような事が日々起こるように、信仰においても、聖書にはないような問題が常に発生する。人を教育するにも、それぞれの個性を知って応病与薬しなければならぬ。それらをどう処理するのか。しかも即答を求められる事が多い。
それに応えるには、ただ信仰だけでは充分でない。私が初めて前社長に会った時、「どうか職工を善くして貰いたい」と言われて、「職工を善くしたいなら、まずあなたご自身が善くならねばならない」と答えたのであったが、これは初対面の挨拶としては言うべき事ではない(礼に欠ける)。けれども工場を善くしようと思えば、自分の信ずる所を尽くさねばならぬ。ゆえに敢えて言ったのである。その思いは社長にも伝わり、だんだん向上進歩された。
生命
生命は説明できない。説けば(生命が)死んでしまう。生命は神の命と人の命(=神の意思と人の意思)が結んで相合し、(心が)綺麗で清浄になった時、その心に入って来るものである。
事業の場合は、首脳が率先して労すれば成績は上がる。けれども教育伝道はそう単純ではない。第一、成績が数字に現われない。目に見えないから油断しやすい。これを如何にすべきか。道は一つ、教育伝道の任に当たる者が、日々、自ら進歩・向上する事に尽きる。これを怠れば、早晩、教育は頓挫する。
質と量
仕事の質を考えずに、量のみ考えると過つ。質すなわち本質は、道や生命と一つである。ゆえに神がわかれば、天地の大と合一した仕事ができて、「我すでに世に勝てり」(ヨハネ16-33)の境地に出られるのである。
これは上より下に及ぼすのみならず、下より上に及ぼすべきものでもある(=上下を越えて取り組まねばならぬ)。
天父の完全なる直接教育 大正十五年八月七日
於本社職員修養会
当社の社訓を難しいからと敬遠して、なかなか本気で学ぼうとしない。その結果、某工場では、念仏婆さんを呼んで来て話をさせ、お陰でよくわかったので、社訓の写しを婆さんに差上げたなどという馬鹿な話がある。私などから見れば、「なぜそんな軽薄な事を」と思ってしまう。
普通の宗教では、救済という事を重く見る結果、基督まで阿弥陀さん(=念ずれば応えてくれる神仏)程度に考えてしまう。そして逆に「教育に宗教を混ぜてはいけない」などと言う。そうではない。真の宗教は、必ず教育と救済とを兼ね備えたものでなければならない。
前にお話ししたとおり、教育の起源は人類創生の時に始まるのである。私はこの事について、初めて今年、無意識状態のうちに神から示されたのである。この経験から考えるに、宗教の奥義というものは、教理や解釈を超えた、神の直接教育によって示されるものであり、それほど厳粛なものである事を知った。
旧約聖書に、「神、人を創造り給ひし日に、神に象りて之を造りたまひ、彼等を男女に造りたまへり」(創世記1-27明治元訳)とある。これは、神固有の《自由》が人間にも分与された事を意味している。自由は万物に与えられたわけではない。動植物はただ本能に従って生きて行くだけであって、善悪の観念などない。
一方、人間だけは自由を与えられて、善に生きる事も悪に生きる事もできる。ただし心の奥底に《良心》というものが埋め込まれていて、自然に善を慕い、悪を憎む性質が刷り込まれている。これが教育の淵源(=大本)である。
かつてイヴ(=人類の祖・アダムの配偶者)は蛇の誘惑を受けて、智慧の木の実を食ってしまった。これこそ人類が良心に背いた最初の罪悪である。そこで神は救済という事を考えられ、そのための教育を始められた。すなわちまず教育が行なわれ、その結果として救済があるのである。こういう事を説いた書物は未だ見た事がないので、これは私の創見であろうと思っている。
ユダヤのアブラハム(=イスラエル、アラブ両民族の始祖)の事は、パーレーの『万国史』(=福沢諭吉が日本に紹介した古典的歴史書)にも出て来るが、釈迦、孔子より古く、紀元前二千年頃の人であった。信心深く、「信仰の父」と呼ばれていた。その彼が九十九才の時、神が現われて言われた、「我は全能の神なり、尓(は)我が前に行みて完全かれ(=私の前に完全無欠であれ)」(創世記17-1)と。
当時、世界はまだ人口も少なく、人心は純朴で、神と人(は)相近く暮らしていたので、神の声もよく聞こえたのであろう。これは基督が、「尓曹、神の完全きが如く完全かれ」(マタイ5-48)と言われたのと同じである。
神はアブラハムの如き信仰篤い人をも、なお教育され、基督もまたそれを踏襲しておられる。これを考えれば教育の重要さがよくわかるであろう。当社の社訓は、その神に相談しながら作ったものである。それを「人の作ったものだから遵奉する必要はない」などと言うのは大間違いである。
罪と義についても神の教育は降っている。古のソドムとゴモラの町は背徳に陥ったので、神はこれを滅ぼそうとなさった。それを知ったアブラハムは、「もしもこの町に五十人の義人がいたら、滅ぼさずに許していただけるか」と問うと、「許そう」と神は言われた。「では五十人に五人欠けたらどうか」、それからだんだん減らして行って、最後十人にまで引き下げて、「それでも許す」と言われたのであるが、結局、義人十人は見つけられず、町は天よりの劫火に焼き尽くされてしまった(創世記18-16~19-28)。
人は義を以て立っている。悪をなして神の教育に背く者は、よほど悔い改めて正道に立ち還らない限り、自ら滅亡するのである。
神の教育が義人に降る事もある。モーセ(=ヘブライの指導者)がイスラエルの民を率いてエジプトを脱出したのは、紀元前千三百二十年、支那(=中国)では殷の湯王の時代であった。神はモーセをシナイ山に導き、そこで神の直接命令を授けられた。『十戒』である。神は非凡なる一人を通じて万民を教育なさったのである。
では特別に選抜された独子イエスを、神は如何に教育なさったか。
その父ヨセフは義しい人、母マリヤは信と愛の深い婦人、そういう家庭に神は基督を生まれさせ給うた。当時ユダヤでは、生まれた子供に対して、まず何よりも神の事を教えねばならぬとされていたから、幼時より聖書(当然、旧約聖書)をよく読まれたはずである。
基督(が)十八歳くらいの時、父ヨセフが亡くなった。もともと中流家庭であったから、父亡き後の生活は苦しかったであろう。それでもヘブライ語・アラマイック語(=ヘブライ語の俗語)・ギリシア語を学ばれ、祈祷と瞑想に親しまれた。
地理的環境はどうであったか。ナザレは景勝の地であった。北には九千尺余(=二千七百㍍)のヘルモン山が見え、その彼方に一万尺(=三千三百㍍)のレバノン山が聳え、西には地中海を控えてエズレルの原と、シャロンの野が広がる。
父亡き後は長男として一家を支え、弟妹を養育なさった。この間に、「わが父は今にいたるまで働き給ふ、我もまた働くなり」(ヨハネ5-17)という事を、如実に学ばれたであろう。そして三十歳の時、洗礼のヨハネが出て、人々に悔改の洗礼を施し、基督が世に出られる準備を整えた。
これら全てが神のご教育である。宗教家は学習と言えば、集会を持ったり、聖書の輪読会でもすれば済むように思っているが、それは誤りである。宗教をただ信仰箇条(=お題目)のように考えていてはだめである。日常茶飯、自分のために働く時も、人のために尽す時も、学習する時も、休息する時も、全てに神のご教育が含まれている。
基督が世に立たれるまでの三十年間、どのようにして信仰・人格を養って来られたのかについては、古来学者の研究して来た所であるが、唯一言える事は、折に触れて神から直接に学ばれたのである。ルカ伝には、「イエス知慧も齡も彌増り、神と人とに益愛せられたり」(2-52)とある。神の教育は天地一杯に満ちている事を知る。現に今ここで話を聴いている諸君の上にも、神の教育は豊かに降り注いでいる。それに気づかずに、ただ聖書を読んだり祈祷したりする時だけが修養だと思っているのは、非常な間違いである。
基督がヨハネから洗礼を受けて水から上がられた時、神の霊が鳩のごとく舞い降り、天より声あり、「此は我が心に適わが愛子なり」(マタイ3-17他)と言った。これによって基督は道を説く者としての大自覚を得られた。これまた神の直接教育である。
この天命を如何にして果たすべきかを考えておられる時、悪魔の誘惑に遭われた。基督の如き空前絶後の(=後にも先にも二度と出ないほど優れた)偉人に対しても、神はなお教育なさるのである。基督は前後三回の大いなる誘惑を全て退けられ、悪魔は諦めて離れ去った。
こうしていよいよ福音を述べ始められたのであるが、それと共に、妨害者・敵対者の攻撃も強まって来た。そこで基督は、近い将来、自分の亡き後の継承者を育てるべく、十二人の弟子を選んでガリラヤの北へと退かれた。ここから基督による高等教育が始まる。
「イエス、其弟子に問て曰けるは、(・・・・)『爾曹は我を言て誰とする乎(=私を何者と思うか)』。シモン・ペテロ(が)・答けるは、『爾はキリスト(=救世主)、活る神の子なり』。イエス答て曰けるは、『ヨナの子シモン(よ)、爾は福なり、蓋、血肉(=人智が)(その真理を)なんぢに示せるに非ず、天に在す吾父なり(=神が直接示し給うたのである)』」(マタイ16-13~17・他、明治訳)。
基督の中に神があり、ペテロの中にも神が入ってこれを言わせた。神が自分の心に入って初めて神がわかるのである。この句は私の悟り(=29歳、宮城野原における最初の見神経験)の時の実体験となったものでもある。
他日、三人の弟子(=ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れてヘルモン山に登られた時は、山頂で基督の容貌が変わり、光り輝くモーセとエリヤ(=ともに古代ユダヤの偉大な預言者)が現れた。感激したペテロは、「御意ならばここに庵を建てて住みたい」と言った。すると雲の中から声があって、「此は我旨に適ふわが愛子なり、爾曹(は)(モーセやエリヤではなく)これ(=イエス)に(教えを)聽べし」(同17-5他)と告げた。ここには、基督に対する神のご教育と、基督の弟子に対する神のご教育とが含まれている。基督が受けられた神の教育は他にも無数にあるが、釈迦や孔子にもその例が見られる。
釈迦は王家の跡継ぎとして生まれたので、凡そ世人の欲するほどの奢侈(=贅沢)・栄華・名声は、全て初めから備わっていた。
しかし真理を求めて已まぬ精神は満足しない。ある日、都の東門を出て「老人」なる者を見、別の日、南門で「病人」という者の存在を知り、西門では「死人」を見送り、北門では「僧侶」を目撃した(=四門出遊)。また別の日には、美しい娘が通りかかって釈迦を見、「このような子供を授かった父母は嬉しかろう。このような男子に嫁ぐ娘は幸せであろう」と思い、思わず微笑んだ。(基督も、「爾を孕し腹と爾の吮し乳は福なり」(ルカ11-27)と言われた事がある。)釈迦はそれを見て、自分の心を見て微笑んでくれたものと思い、感謝の印に自分の首飾りを取って娘に与えた。しかし娘の方では、これを恋愛の意味に取り、恋着の心を起した。これによって、人には《煩悩》のある事も知った。
うしていろいろの経験を経て、人にはみな四苦(=生・老・病・死)があって免れ難い事を知り、何とかしてこれを救いたいと思い、遂に二十九歳で出家したのである。
釈迦と孔子は殆ど同時代人であって、釈迦が十二歳の時に孔子が生まれた。神はこの二大聖人を、ほぼ同じ時期にアジアに送り込まれたが、二人は結局相知らずに終わった。一人は印度で、一人は支那(=中国)でそれぞれ神の御旨を行なう事を以て生涯の務めとなした。
孔子の一生は不遇に終わった。三歳で父を喪い、十五にして学問に志し、結婚して、委吏(=穀物倉庫の出納を司る官吏)となり、料量を平らかにして(=計量を公平にして)、会計相当たる(=計算に間違いがない)という有能ぶりを示した。次に司職史(=儀式用家畜の管理係)となり、家畜(が)繁息する(=増え肥る)という好成績を挙げた。
釈迦は一生托鉢して暮らしたが、孔子は自活の道を選んだ。二十四歳で母を喪い、三十にして天下に道を広める決心を固め、五十一歳の時、公山弗攘(=季氏の領地・費[現・山東省費県一帯]の代官。後に反乱を起こして費に立て籠もる)の招聘に応じようとした。
高弟の子路がこれに反対した。すると孔子は、「夫れ我を召ぶ者にして豈(=どうして)徒ならんや。如し我を用うる者あらば、吾はそれ東周を為さんか(=私を招くからには、それなりの理由があるのであろう。もし私を本気で用いる者があるなら、私はこの東国の費において、あの周の文王・武王の道を再現したいものだ)」(論語・陽貨)と答えた。
孔子はかねてより季氏の横暴を快く思っていなかったから、初めに公山を援けて、後に帰順させる事ができるかも知れないと考えたようであったが、結局、公山氏の人物を見極めて、行かずに終わった。
その後、母国・魯の中都の宰(=地方長官)となり、五十二歳、夾谷での会談に陪席し、斉との間で外交上の成果を上げた。五十六歳で相の事を摂行する(=総理大臣の仕事を代行する)に至り、大夫(=大臣)・少正卯を誅し(=死刑に処し)、魯は大いに治まり、政は頗る挙がった。
これを見た斉が脅威を感じて、定公(=魯の君主)を誑かせんとて、選りすぐりの女楽(=女楽人たち)を送り込んで来た。季桓子(=権臣)がこれを受け入れ、定公はさすがに孔子の前を憚って(=遠慮して)、微服して(=私服に着替えてこっそりと)これを見に行き、やがて君臣共々、政治を怠るようになった。孔子は自分の道が行なわれなくなった事を知って、遂に魯を去って諸国周流の途に就いた。これもまた神の教育である。
衛の国の儀に滞在中、封人(=国境警備の役人)が訪ねて来て言った、「二三子、何ぞ喪うことを患えんや(=お付きの方々よ、先生が地位を失われたからとて、何の心配がありましょうぞ)、天下の道なきこと久し、天は将に夫子を以て木鐸と為さんのみ(=天下に道が行なわれなくなって久しく、今や天は将にこの先生を、世の木鐸[=人心に警告を与える人士]にしようとしているのです)」(論語・八佾)。
斯くして孔子の道は天下・後世に広まり、畏くも(=畏れ多くも)我が明治天皇をも教え奉り、ために陛下は斯くも聖明にわたらせられた(=知徳が優れておられた)のである。
神の教育は古今にわたり、上下を貫き、四方に周(=行き渡る)して、所謂「天地に充ち満ちて」いる。明治天皇が直接孔子から学ばれた如く、我々も絶えず神の教育の中に身を置いているのであるが、信仰(が)浅く、心(が)熱からぬため、いつまで経っても孔子の如くなれないのである。
不断に信仰すれば不断に教えられ、不断に祈祷すれば不断に養われる。ヨハネは、「わが與ふる(平安)は世の與ふる如くならず」(14-27)と言った。
どうか諸君も、浅い信仰に安住せず、聖人の如き大いなる信仰を持って、神の直接教育に与かる人になって頂きたいものである。
山月先生文集(149)
山月子『女学雑誌』記事(二十三)
『片々』編輯の言
明治の青年は改革の雄兵たらざるべからず(=優れた戦士とならねばならぬ)。国家(の)将来の運命は、青年の傾向によりて、その盛衰興敗(=盛んになるか衰えるか、成功するか失敗するか)を決するものと謂わざるべからず。嘲ること勿れ、黄口児(=嘴の黄色い雛鳥・青二才が)何をか為すと。吉田松陰を見ずや、松下村塾を見ずや。
吾人(=我々)は青年を愛し、青年を重んじ、一方ならぬ希望を持ちてその運動を注視する者なり。すなわち相議(=相談)して、この一欄(=『片々』欄)を以て全国各青年会の模様を報ずるの機関(=手段)に供し、あわせて各青年会が互いに気脈を通ずる(=意志疎通する)の便宜に供せんとす。
筆を執るに先立ちて、慎みて青年諸君に告ぐ、曰く、自重(=自尊)と共に謙遜なるべし。剛くあると共に優しくあるべし。運動(=活動)と共に修養を怠るべからず。柔弱なること勿れ、傲慢なること勿れ、浮足立つこと勿れ。真理と潔白と良善と公義の味方たれ。而して最後の戦勝者たれ。 明治25年8月13日 女学雑誌325号甲
英雄
時、難にして(=時代の難局に臨んでは)偉人を思い、世、乱れて(=乱世には)英雄を思う。不正・不法・不義の社会に、正人は泣き、義人は悲しみ、良民は苦しむ。思うに昔、皇天(=天なる神)は社会の腐敗を憤り、人民の疾苦(=悩み苦しみ)を憐れみ、前後(=各時代に)、幾多の英雄を出だせることを。昔これを出だせり、豈(=どうして)今これを出ださざらんや(=英雄を出さない筈がない)。ああ現今・将来、如何なる英雄か出でて、同胞のために泣き、同胞のために尽くすべきか(=尽くすだろうか)。請う、少しく吾人が(=我々の)愛する英雄を描かしめよ(=記述させよ)。
蓋し(=まさしく)英雄は時勢の子(=時代の申し子)にして、また時勢の父(=時代の導き手)なり。時勢が彼を生む。然れども彼は、己を生みたる時勢に盲従する者に非ず。反って時勢に先立ち、もしくは逆らい、時勢を導く者なり。天国をこの世に来らせん(=実現させる)ためには、英雄の力―英雄によって顕わるる(=具体化される)基督の力―を要すること大なり。
英雄は質朴なり、天真爛漫なり。人は粉飾(=己を飾る)せざる時、最も美なりとせば(=すれば)、英雄は常に最美なり。彼の言行は真実なるが故に、人はよくその一面を知る。而るにその全体は、複雑錯綜せるが故に、容易にこれを知るべからず。
彼が悠然として静かなる時は、清風明月、花香馥郁たる (=花の良い香りが漂う)が如し。これ一個の君子なり。彼が烈然(=節操固く強く正しいさま)として動くや、黒雲勃々(=もくもくと湧き)、飛龍隠見(=見え隠れ)するが如し。これ多くの記者・評者が好んで写す(=描写する)ところなり。
英雄は親に孝、兄弟に愛、朋友に親、国民に忠なり。彼の一言一行は至る所に活議論(=現実に即した議論)を起こし、活詩歌(=生き生きした詩歌)を生む。山の如く、河の如く、月の如く、花の如く、火の如く、電(=稲妻)の如く、変幻自然にして、窮り無き活文章なり。豈(=どうして)杓子定規の(=決まりきった)死論を以って評定し去る(=批評し尽す)ことを得んや。
「その容は靄然として(=容貌は穏やかで)春風の如く、その神は凝然として(=精神は不動で)金石の如し」(=出典不詳)、この詩を以って彼の肖像に題す(=表題とする)べし
彼の身には一種の霊光あり、愛すべくして狎るるべからず。畏るべくして離るるべからず。彼が人を思う時は、優しく処女の如し。「玉容寂寞、涙欄干(=玉の如き顔に、しとどの涙)」(白居易)の句に、英雄が独り涙する姿を連想すべし。
まさに誠涙万斛(=無尽の感涙)と活火千丈(=無限の熱情が)、合して彼の内にあり。彼が世を憤るや、「猛虎一声、山月高し」(兪紫芝)、激烈にして英雄の本色(=本来の性質)を見る。而して温顔涙痕の湿うところ、眼中に一点、義烈殉難(=固く義を守って難に殉ずる)の精神を見わすは、彼が同志者と深く結んで分離すべからざるところなりとす。
英雄は人と共に喜ぶよりも、寧ろ他と艱難を共にし、悲哀を共にす。同情・恩愛はパウロが教会に於けるが如く、劉備(=三国代の英雄)が将士に対するに似たり。同胞を思い、国家を憂い、社会の下層に同情を表する彼の念は、已まんと欲して已むこと能わざるものあり。その愛国の精神の一たび激動するや、全身悉く火となる。而してその面(=表情)に発し、言に出るや、熱涙反って襟に落つ。この時に於いては、接する者・聴く者、彼と同じく感じ、彼と同じく泣き、彼と同じく(心を)奪う。彼の敵と雖も感激して動く。至誠が至誠を生む。英雄の涙の如何に価値多きか。
人に対し、社会に対する英雄の情は斯くの如し。而して天然(=自然界)に対するや、優悠として一個の詩人なり。晈々として(=白く明るく)野を照らす月、聳然として(=高く聳えるさま)雪を戴く山、渺々たる(=広く果てしない)海原、滔々たる(=流れて止まぬ)大河、樹陰の清風、花間の小鳥、英雄がこれらに対するや、もはや市井(=日常社会)の人には非ず。思い起こす、赤壁(=湖北省長江南岸。蜀・呉連合の水軍の前に曹操率いる魏が大敗を喫した)明月の夜、曹孟徳(=曹操。三国時代の覇者の一人)が戟を横たえて詩を賦せし(=詠った)時(=「山は高きを厭わず、水は深きを厭わず。周公[=文王の子。兄の武王を援けて文武に業績を修めた]は甫を吐きて、天下の心を帰す[=周公は高い山も深い河も厭わず、訪う人あれば、食べかけの食事を吐き出してまで面談して、広く人材を求めたので、天下の人心はみな彼に帰した]、云々[短歌行]」)。思い起こす、能州(=能登)明月の夕、謙信が宴酣にして詩(=「越山并せ得たり能州の景」『九月十三夜』)を作れる時。
何ぞ況や、神を愛し人を愛する英雄に於いてをや(=ましてや、神を愛し人を愛する英雄において、自然を愛でる心は一層強いことは言うまでもない)。天然は実に彼の好友なり。英雄が天然を愛すること尋常(=人並み)ならず。故に天然は、彼に対して充分の共感を示し、彼を慰励し、彼を讃美す。
英雄は神の前に謙遜・従順なり。彼の祈祷・感謝は恰も幼児の如し。無心に、自然に、訴えては泣き、泣きては訴うなり。
英雄の信仰・希望・愛国は、彼の品格の基盤なり。彼が人に戴かるる(=人の頭とされる)は、人を率いんとするの心より起こるものに非ず。統御を好む彼の心は霊化せられて柔和謙遜となれり。彼は人々の足を洗う心を有せり(ヨハネ13-1以下)。この心あるが故に、神は彼を高め、人は彼を戴く。彼は自己の弱きを知り、穢れたるを知り、卑しき(=取るに足らぬ存在である事)を知る。
彼は己を棄てて神に従う。彼の強さ・清さ・高さはみな神に由るものなり。彼が驚くべき自信を有するのも、己の衷なる神の光を信ずるによりてなり。彼が自らを愛し、同胞を愛するは、みな神を愛する愛に基づくなり。
彼は英雄の名・聖賢の名を喜ぶ者に非ず。むしろ英雄・聖賢の名は、進歩する人、及び弱き人の進歩を止め、もしくは遅らせ、あるいは僻せしむる(=偏らせる)懼れある事を思えばなり。彼はただ基督の良僕たらん事を望み、かつ人にも望むなり。
蓋し(=まさしく)彼は基督の僕なるが故に、世の英雄なり。思い見る、林中に祈祷するワシントン(=米国建国の父・初代大統領)は、米国創業の英主(=優れた統率者)なる事を。吾人(=我々)が英雄を愛するは、英雄としてこれを愛するに非ず、基督の僕としてまずこれを愛するなり。
ああ基督の僕の名を犯して(=名を騙って)、その実(=実体・実質)なき者の多きは何ぞや(=どうした事か)。ああ世の英雄の称(=称号)を簒うて(=横取りして)、その真(=誠心)なき者の多きは何ぞや。吾人は現今の日本に於いて、偽の預言者らが妄りに誤解の愛を説きて、軟弱・繊弱(=きゃしゃで弱々しい)の気風を養成し、妄りに英雄豪傑の謬論(=過った論)を吐きて、粗暴・虚喝(=こけ脅し)の青年を輩出(=続出)せしむる傾あるを悪む(=苦々しく思う)。
豈(=どうして)、粛然(=静かに)祈祷して、真正英雄の人物を写し出さざらんとするも得んや(=心に思い描こうとしてもできないのか)。ただ英雄の人物(は)吾人青年(=我々青年)の未だ全く知ること能わざるものあり。もしこの文にして諸君に遺憾(=不満足)を感ぜしむるところ有らば、これ余(=私)の思いの及ばず(=私の思考が不充分で)、筆の至らざる罪なり。 明治25年8月22日 女学生夏期号

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